ごうけいほうもんしゃすう

震災直後のまちなかと近郊の様子

3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト 公開サロン @考えるテーブル 2012年10月27日

語り手:漆田義孝さん/進行・聞き手:佐藤正実さん(NPO法人20世紀アーカイブ仙台)

■地震直後の東二番丁通(五橋)を歩く人々

地震直後の東二番丁通(五橋)を歩く人々

2011年3月11日 15時00分 宮城県仙台市青葉区五橋2丁目

[漆田さん(以下、漆)]当時勤めていた職場は市立病院の裏、住所で言うと東七番丁で、地下鉄五橋駅のそばにありました。14時46分に地震があって、この写真は14分後の15時に東二番丁通りの交差点で撮った写真です。
私は職場で被災して、従業員は一旦解散というような形になり、まず皆それぞれ家族の安否を確認することになったのですが、私は一人暮らしで、家に帰っても余震があるかもしれないし、すぐに帰って片づけをしようという気にはなれませんでした。たまたま半分趣味・半分仕事で使っていた私物の一眼レフカメラがあったので、それを持って街に飛び出しました。
街中は人が建物から出てきて騒然としており、いつもと違う光景が広がっていて、それを半ば無意識に撮っていました。五橋はオフィスビルも沢山ありますし、保育園やマンションなど非常に密集しているところです。これと同じタイミングで撮ったカットには、背広を着た人たちが同じような頭巾を被って歩いているという写真もありました。皆さんがそれぞれにいた場所から、写真の手前側の方向にある、避難場所の五橋中学校へ向かって歩いている様子になります。

[佐藤さん(以下、佐)]その後ツイッターに画像を載せて、色々と発信をされていましたが、どんな状況でしたか?

[漆]当時使っていた携帯電話は元々電池の持ちが良くなかったので、あまり使わないほうがいいと感じて、震災直後は安否発信だけをして、あとは一眼レフのカメラで写真を撮っていました。2日目、3日目くらいに、充電できる場所が見つかったり、職場の電気が使えるようになったりしました。東京方面から心配してくださる友達や先輩がいたので、徐々にそういう人に向けてツイッターなどで情報発信を始めました。

■アーケードにて携帯電話充電サービス

アーケードにて携帯電話充電サービス

2011年3月12日 8時50分 宮城県仙台市青葉区一番町2丁目

[漆]サンモール一番町商店街のアーケードでは、毎週木曜から日曜日にマルシェジャポン(食材市場)が開かれていました(2013年5月現在休止中)。ちょうど震災翌日が土曜日だったので、テントの電気や、冷蔵の設備を使う人向けに用意していた発電機があり、その発電機で10人くらいずつ携帯電話の充電をしていました。この写真の手前方向、南町通りの入口の方までずらっと行列ができていて、たくさんの人が充電待ちをしていました。1人10分間充電したら後ろの人と交代するというルールでした。これは、朝の9時近くの写真なんですけども、12時くらいには発電機用のガソリンが尽きてしまい、終わってしまいました。

[佐]柳谷さんが、3月11日の夜、ちょうどこの写真と同じ場所に行っていましたよね。

[漆]この場所は、光が灯されていて明るかったから分かりました。ラジオを流していて、みんなが集まっていたなということを思い出します。

[佐]きっと3月11日からずっと発電し続けていたから、12日には発電機のガソリンが尽きてしまったのかもしれないですね。

[漆]この写真の場所から、青葉通りを越えてアーケードをまっすぐ歩いて行くと、今度はそこに電話ボックスがありました。私も最近は携帯電話しか使っていなかったので、アーケードに電話ボックスなんてあったっけと思うくらいだったんです。電話ボックスで近畿地方の実家に電話をかけていた大学時代の先輩と再会して、半日くらい一緒に行動することになりました。この通りではいろいろな事がありましたね。

■停電中のためカーナビで情報収集

停電中のためカーナビで情報収集

2011年3月12日 13時47分 宮城県仙台市青葉区五橋2丁目

[漆]私は大学を卒業してからも、学生時代にやっていた部活にたまに顔を出していました。片平にある部室に行ってみたら、現役学生の後輩たちが情報交換をしていました。出身が地元ではない、一人暮らしの学生も多いので、人のいそうな部室に集まって、各学年みんな無事か、連絡は取れているか、といったことをやりとりしていました。まだ停電したままでしたが、部室の正面に後輩の車が停まっていて、そのカーナビで私は震災後初めてテレビを見たんです。震災当日の夜も、その日もラジオをかろうじて聞いていたくらいで、携帯電話を使ってインターネットを利用しているとすぐに電池が切れてしまうので、それまで情報はあまりありませんでした。津波の映像や、仙台空港の飛行機が停まっているところに水が押し寄せてくる映像がずっと流れていて、非常に衝撃的でした。
その時はみんな車のシガーソケットで携帯電話の充電をしていて、車を停めているとバッテリーが上がってしまうのでエンジンもふかしたままという状態でした。

[佐]大抵の人は、ラジオが唯一の情報源で、テレビを見ることができず、今どんなことが起こっているのかわからない状況でしたね。自分の街で起きていることをご覧になってどうでしたか?

[漆]もう本当に驚きました。私も、震災直後に写真を撮りだすぐらいですから、どちらかというとけっこう落ち着いて行動している人間だなと感じていたのですが、それはある意味で、仙台の街中はインフラが全部止まったけれど、崩れるビルが目の前にあるわけでもなく、比較的冷静に動ける状況だったからかもしれません。
実はこの時、部活の後輩の1年生や2年生の中には、南三陸や多賀城、福島出身の人もいて、後で聞いたら家族は幸いみんな無事だったのですが、その当時は連絡が取れないという人が沢山いました。津波の映像を見てしまって、黙るわけにもいかず、気丈に振舞っている後輩たちと、どのように接するべきか考えながら過ごしていました。でもやっぱり、入ってくる情報の凄まじさが、何よりも大きかったです。

■崩落した建物の瓦礫が道路を塞いでいる鹿落坂

崩落した建物の瓦礫が道路を塞いでいる鹿落坂

2011年3月13日 7時34分 宮城県仙台市太白区向山1丁目

[漆]先ほどお話したアーケードの電話ボックスで再会した先輩が、ちょうどこの道を通って、坂を登ったところに住んでいたんです。建物が崩れて、瓦礫が道を塞いでいるのでこの道を通れず、家に戻るとしたら愛宕大橋を越えてぐるっと回って行かなければならないのですが、そちらの道も渋滞して、通行が難しい状態だったそうです。先輩は、家に戻れなかったので、荒町小学校の避難所で3日くらい過ごしたと聞きました。その話を聞いて、本当に大変なことになっていると感じて、1日目と2日目は職場や家の周辺だけを撮影していましたが、どうしても気になって様子を見に行くことにしました。

[佐]漆田さん、積極的に写真を撮りに行っていますよね。

[漆]家でじっとしているというのが無理で、居ても立っても居られず、毎日けっこう朝早く起きて写真撮って、暗くなったら戻って、というようなことを繰り返していました。ただ私も何で撮っているのかという葛藤や後ろめたさがありました。別に悪いことをしているというつもりは全くなかったんですが、もっと片付けやボランティアがあったかもしれないと思ったりもしました。そんな時、この写真を撮ろうとしてた私に、通りがかりのおじさんが、偉いねぇと言って声をかけてくださったんですよ。最初は怒られるかなと思っていたんですが、こうやって今の様子をちゃんと残しておくことは意味がある、というような話をしていただきました。

[サロン参加者]この場所について、ちょっと説明させていただきます。私、八木山弥生町に住んでおりまして、しょっちゅうここを通勤で通っておりました。ここは通称「鹿落坂(ししおちざか)」と言って、東北大学の本部から坂を下りまして、霊屋橋を渡って突き当たって左に登るような坂になります。崩れた建物の奥の木造2階建てには温泉場があったんです。左手の下は広瀬川です。

[佐]ご丁寧に説明頂いてありがとうございます。

■困惑するロータリー

泉中央駅のバスロータリー

2011年3月16日 16時00分 宮城県仙台市泉区 地下鉄泉中央駅ロータリー

[漆]変な話、順繰りに写真を撮りに行ってまして、震災当日は自分の職場と住んでいる五橋近辺。2日目は街中。3日目は鹿落旅館さんの方に行ったりちょっと脇に行ったりとかして。その次の日は東の、4号線の方に行って。16日は、これは先輩の車で行った日かな。普段は自転車で移動してたんですけど、その日は宮城野区の方に仕事の関係でちょっと様子を見に行かなきゃならない場所があってですね、車で沿岸部の方をぐるっと回ったりしながら行ったときに、泉中央駅に来ました。当時は、地下鉄がまだ動いていませんので、皆さんバスに乗って移動しているたんですよね。私も、あまりそういう状況を理解していなかったので、バスとかタクシーが動いているのがすごいなと思って、多分そういう気持ちで撮った一枚かなと思います。おそらく中心部の方に戻ろうという人たちが、ずっとここに並んでいる。バスがいつ来るか分からないというような状況でした。

[佐]あと、こういった写真をブログに載せて、ものすごいアクセス数になって、表示されなくなった時もあったんですよね。

[漆]普段あんまり更新もしないし、今で言ったらツイッターとかfacebookもあるので、普段日常のことってついついそっちの方に書いてしまいがちだったのですが、3日目、日曜日の朝に、自宅はまだ全然直らなかったのですが、職場の電気が復旧したので、撮っていた写真をブログに載せようと。知っている人に見てもらおうという気持ちで写真を載せたらですね、それが主にツイッターで、すごく色んな人に情報を広めて頂いて、そしたら1日5人とか、知り合いがたまに見に来るぐらいだったブログに、1日に1万人ぐらいの人が殺到して、当然耐えられるはずもなく、自分で見ようとしても見られない状態が、3月だけじゃなく4月5月くらいまではそういう状況が続きましたね。

*この記事は、2012年10月27日にせんだいメディアテークの考えるテーブルで行われた『3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト公開サロン「みつづける、あの日からの風景」』で、漆田義孝さんがお話された内容を元に作成しています。


当日の様子はこちらからご覧いただけます。
《考えるテーブル レポート》→http://www.smt.jp/thinkingtable2012/?p=1470


【3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは】
このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定期的に行っていきます。これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。


NPO法人20世紀アーカイブ仙台
公式Web:http://www.20thcas.or.jp/

【考えるテーブルとは】
人が集い語り合いながら震災復興や地域社会、表現活動について考えていく場を「考えるテーブル」と題して、せんだいメディアテーク、7階スタジオに開きます。トークイベントや公開会議、市民団体の活動報告会など多様な催しを行っていきます。

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せんだいメディアテークでは、市民、専門家、スタッフが協働し、東日本大震災とその復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していくプラットフォームとして「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれン!)を開設しました。

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