ごうけいほうもんしゃすう

僕は、被災していない

記録者:柳田 創

30代、FtMトランスジェンダー、青森県弘前市在住。
性同一性障害としてホルモン治療を受けており、男性として生活。家族や友人にはカミングアウト済み。パートナーと同居している。
青森県内でクローゼットなセクマイのオフ会を行っていたが、見える存在になる必要性を感じ、2008年にボランティアサークル「スクランブルエッグ」を設立。無理せず楽しくをモットーに啓発活動を行いつつ、メンバーが自分らしくいられるコミュニティになることを目指している。

▽この手記の用語解説について

■2011年3月11日、地震発生


前年に不動産会社を開業していた僕は、初めての春の繁忙期を迎える準備をしていた。事務所で一人パソコンに向かっていると、突然揺れが始まった。
僕が暮らしている地域は、普段は地震がほとんど起きない。今回もすぐ収まるだろうと思いじっとしていたが、揺れは段々強くなり、そのうち突然停電した。
なかなか揺れが収まらず、不安になり事務所の外に出た。近隣の人も外に出ていた。少ししてようやく揺れが収まり、その時はまだ笑顔で「すごい揺れでしたね」と声をかけあった。
まずは近所にある実家の両親の様子を見に戻った。それから、管理している物件に変わった様子がないか見て回った。カーラジオは地元のコミュニティFMに合わせていたので、県内全域が停電の状況であること、復旧の目処が立たないこと、今後の天気など、地域に関する情報を入手することができた。市内の震度は4であった。
自宅にあったラジカセを持ってきて、電池を入れてコミュニティFMを聞けるようにした。近所のコンビニが営業していたので、乾電池とスナック菓子を購入しておいた。暗くなってきた頃にもう一度巡回に出かけ、灯りを持っていない入居者にロウソクを配った。 実家では家族が豆炭こたつを囲んで一つの部屋に集まっていた。ラジオはNHKなのか、広い地域で被害があったことを伝えているようだったが、その時は目の前の状況で頭がいっぱいで、他の地域のことは考えられなかった。
実家から反射式ストーブを1台借りることができ、パートナーと暮らす自宅へ持ち帰り暖をとった。


3月11日の夜

2011年3月11日。
震災当日の夜の事務所。
停電して仕事はできないものの、真っ暗な街の中で不安な人もいるかと思い、ロウソクを灯してみた。


■2011年3月12日、停電復旧

翌朝はかなり冷え込み、積雪があった。引き続き停電していたが、僕もパートナーもそれぞれ普段通り出勤した。
パソコンも電話も使えないが、暖房がない人が来るかもしれないと思い反射式ストーブを事務所に持ち込んで店を開けた。ツイッターでは市内の人たちがスーパーやガソリンスタンドの営業情報などを発信していて、僕も真似して発信を始めた。コミュニティFMも市民と協力して地域の情報を発信し続けていた。
一人事務所にいると、高校からの友人が顔を出してくれた。気心の知れた友人に会えたことで、どこかほっとした。2人で「反射式ストーブで餅を焼こう」と思いつき、スーパーまで歩いた。たどり着いたスーパーではレジが使えないために、同時に入店できる人数を制限していて、入口に何人か並んでいた。僕らも並んで待っているうちに、ぱっと電気が復旧した。おお!という歓声と拍手が起きた。
電気は復旧したが、せっかくだからと餅とサツマイモを購入し、ストーブの上で焼いた。事務所は思いの外焦げ臭くなったが、暖かい気持ちになれた。これで元の生活に戻れると思い、ようやく安心した。

実はこの時まで僕は、自分達を被災者だと思っていた。こんな大規模な停電も、品不足も、燃料不足も初めてだったからだ。
しかし実家に顔を出した時、テレビの映像を見て目を疑った。そこには停電どころではない、茶色の濁流が街や田畑に押し寄せる様子が何度も何度も映し出されていた。そこにたくさんいたはずの人が、生活してきたはずの場所が、飲み込まれていく。
僕はこの日から、自分を被災者だと思わなくなった。


■セクマイ・コミュニティ

僕は青森県内でセクシュアルマイノリティのことを知ってもらうためのサークルでリーダーをしている。メンバーにはセクマイである人も多い。13日には、県外へ就職するメンバーの送別会も予定していた。
だが震災発生後しばらく、僕はサークルのメンバーに自分からはほぼ連絡をとらなかった。
理由はたくさんある。お互いに携帯電話のバッテリーを消費させてはいけないと考えたこと。被災地での救助活動のために通信網に負荷をかけたくなかったこと。青森県での被害は限定的で、地域を考えると直接被災しているメンバーがいると考えにくかったこと。もしメンバーで被災した人がいたとしても、地域コミュニティの中に避難していると考えられ、下手に動くとアウティングに繋がる危険があること。セクマイとして緊急の支援が必要と考えられるメンバーがいなかったこと。きっとみんな自分の日々のことで精一杯だと思ったこと、などだ。
逆に急ぎ連絡をとることで良いと思われることが、ほとんどなかったのである。

地震発生から1週間後にようやく、全メンバー宛にメールを流した。これから、たくさんの人を支えていかなければならない。だからまずは自分を大切にしてくださいと。大変なのは、これからだと思っていた。
そして二次災害や余震による事故を避けるため、当分はサークル活動で集まることを控えることにした。サークル活動が再開したのは、雪も溶けた1~2か月後からである。


3月18日降り積もった雪

震災から1週間。2011年3月18日。
この時期はまだ雪が降る寒い季節。
冷え込む日は被災地の人たちの寒さを思い、いたたまれない気持ちだった。
燃料を少しでも被災地に回そうと、灯油もガソリンも節約した。


■僕は、被災していない

被災地と言われる青森県であっても、僕やサークルのメンバーが暮らす地域は停電と多少の物資不足で済んだ。だからこそ、いつもと同じ生活をすることが自分達のつとめだと思った。
それに、県内のセクマイが困っているという声も僕の元には届かなかった。そもそも緊急時でなくても、普段からそう簡単には会うことも繋がることもない。特に啓発活動などしている団体は、警戒されがちなところがある。クローゼットとしての地域コミュニティでの暮らしを守るためでもあるのだ。 また、停電は県内の多くの地域で2、3日程で復旧したし、津波のあった八戸市でも最後の避難所は5月上旬で閉鎖になった。避難が長引けば自分を隠し続けるストレスや、アウティングの危険も高まるが、セクマイとして困るような状況にまではならなかったということもあるかもしれない。
しかしその状況とは裏腹に、周囲からは被災地・青森県の被災者として安否を尋ねられたり、情報を求められる。セクマイ・コミュニティのリーダーとして、さぞ仲間が心配だろうとか、状況はどうかとか、困っていないかと声をかけられる。
僕にとっては震災そのものよりも、それがずっと重荷であり、辛かった。

僕は、被災していない。周囲がどう思おうと、僕は自分を被災者だとは思っていないのだ。情報も入ってこない。それなのに、僕の発言が県内の被災セクマイの言葉と思われてしまう怖さを感じていた。
地域コミュニティを優先したことも、安否確認を自粛したことも、状況がわからないことも、被災地にいるのに被災していないことでさえも、何か悪いことをしているような感覚になった。同じ東北に暮らす人たちが大変な時に、自分はのうのうと暮らしている……声をかけられればかけられるほど、僕は後ろめたい気持ちになっていったのだ。

僕は今日、この後ろめたさを初めて言葉にした。ずっと言えなかった。でも今日、僕は僕の立場であの時のことを書こうと思うことができた。
被災した人たちの声がようやく聞こえてくるようになったからなのか、僕が被災しなかった人間として発言することをようやく受け入れ始めたのか。訊ねる側の見方も変わってきたようにも思う。
僕の時間も、そろそろやっと動き出すのかもしれない。


4月28日桜が咲いた

2011年4月28日。
4月下旬、桜が開花。北国にもようやく春が訪れた。
復興も行方不明者の捜索もまだまだだったが、それでも冬が終わることで少しだけ希望を感じた。


2014年1月寄稿

■柳田 創さんの活動
スクランブルエッグ
http://gochamazetamago.main.jp/
https://www.facebook.com/gochamazetamago

■用語について
レインボーアーカイブ東北の「手記」には、耳慣れないセクシュアリティに関する用語がたくさん出てきます。下記のページにて、それぞれのおおまかな意味合いを解説していますので、ご覧ください。

レインボーアーカイブ東北による用語解説

さらに詳しい情報については、「性と人権ネットワーク ESTO」ウェブサイトをはじめとするセクシュアリティ関連サイトや書籍などをご参照ください。

■レインボーアーカイブ東北について
レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーなど、多様な性の当事者たちの生の声を集積・記録・発信する団体です。
可視化されていない地方の当事者の存在を広くアピールすることで、違いを認めあい尊重しあう、より生きやすい社会をめざします。
宮城県仙台市を拠点に活動している4団体「東北HIVコミュニケーションズ」「やろっこ」「Anego」「♀×♀お茶っこ飲み会・仙台」が中心となって2013年6月に設立されました。

連絡先:ochakkonomi@gmail.com (♀×♀お茶っこ飲み会・仙台)

※レインボー(虹)は多様な性のあり方の象徴として世界各地で用いられています。


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