ごうけいほうもんしゃすう

閖上に残る津波の碑

閖上には、その名の由来のひとつに、平安時代の貞観地震の際、浜に十一面観音像が「ゆりあげられた」ため「ゆりあげ浜」と呼ばれるようになったという説があります。
さらに時は流れて江戸時代になり、仙台藩第四代藩主伊達綱村の時のこと。綱村が訪れた大年寺山(現在の仙台市太白区茂ヶ崎2丁目あたり)の寺から南東の方を見ると、門の向こうに港が見えました。綱村があそこはどこかと問うと「ゆりあげ浜」であるとの答えがありました。綱村は続けて「その字はなんと書くのか」と聞いたところ、返ってきた答えは「字はありません」というものでした。それを受けて綱村は「では門の中に水が見えたので、門がまえに水と書いて閖としよう」と言ったと伝わります。
そのような歴史を持つ閖上は、江戸時代以来長く仙台近郊の漁場として市民の台所を支えてきました。

その閖上に、昭和8年3月3日、昭和三陸地震で発生した津波が押し寄せました。幸いにも人命は失われなかったものの、先人たちは後世への警告と教訓とするために石碑を建てました。
現在、その石碑は東日本大震災の津波により元の場所からは流されたものの、閖上の日和山の麓に残されています。


日和山南西側。

日和山南西側。山頂に見えるのは富主姫神社。震災後流されたり倒れたりした石碑がここに集められました。左から2番目が昭和三陸津波の碑です。


碑

現在では不明瞭になっていますが、建立当初、碑に掘られた文字は読みやすくするために白く彩色されていたようで、その当時の写真が残っています。当初は魚市場の南西に建てられていましたが、その後日和山の下(現在とは違う場所)に移動したとの記録が残っています。


石碑

石碑を間近で見てみると、「地震があつたら津波の用心」の警句が読みとれます(写真は文字の部分を拡大し見やすくするため加工したもの)。
朝日新聞が義捐金をもとに建てたこの碑と同じ警句を持つ石碑は、昭和三陸津波の到達した各地にいくつも建てられたそうです。

(写真はすべて2013年8月8日 宮城県名取市閖上4丁目18 日和山にて撮影)

【参考リンク】
国土交通省 東北地方整備局 道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」

【参考文献】
岡崎一郎著『閖上風土記』昭和52年、小野晋平

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