ごうけいほうもんしゃすう

将来、子供たちに生き残ってほしいなと思い連れて行きました

3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト 公開サロン @考えるテーブル 2013年8月3日

語り手:佐賀隆薫さん/進行・聞き手:佐藤正実さん(NPO法人20世紀アーカイブ仙台)

■壁面が崩れた老舗洋食店

壁面が崩れた老舗洋食店

2011年3月12日 仙台市若林区大和町5-9-2

[佐賀さん(以下、佐賀)]震災当時は会社で普通に仕事をしていたんですけども、突然の揺れがありまして、その日は17時前に会社が終了になりました。会社は若林区六丁の目の印刷団地にありますが、原付バイクで通ってたので、そのまま新寺の自宅の方にいち早く戻ってこれました。子供が幼稚園児と小学生だったんですけど、私が迎えに行き、とりあえず家の中の通路を確保したという所が大体当日の様子です。かみさんがちょっと遅目に帰ってきたんですけども、それ確認してから、本町に祖母が住んでいましたので、祖母の様子を原付バイクで見に行きました。その頃はもう真っ暗だったんですけど、仙台駅前の東北電力のビルとあと駅の「sendai station」っていうとこだけが電気が点いていたという覚えがあります。
この写真は翌日のものです。会社(勤務)があるもんだと思ってたので、に会社の方に行ったんですけども、1週間ほどお休みだってことが後から分かりました。自宅に戻ってくる時の途中、137号線の洋食屋さんかな、かなりひどいことになっていて、そこを撮ってみたんです。

[佐藤さん(以下、佐)]これ、私も写真撮ってたなと。その後に仮設店舗になって、今はどうなってるんだろ。

[佐賀]その後は分からないですね。

[佐]見に行きましょうね、今度。では次の写真行きます。

■給水に並ぶ人

給水に並ぶ人

2011年3月13日 仙台市泉区7-10-1 南光台小学校

[佐賀]翌日になって、ライフラインが全部止まってしまいました。南光台の実家に親父とお袋がいましたので、そちらの方に行って飯を作ったり、片付けなどを手伝って、一泊しました。その翌朝、ちょうど南光台小学校という所で給水をしていたので、そこに並んだんです。その時の写真です。

[佐藤]南光台小学校ですか。これ、どのぐらい並ばれた記憶あります?

[佐賀]朝6時くらいから配り始めたと思うんですけども、40分くらいは並んだと思うんですね。

[佐藤]急に振って申し訳ないですけど、熊谷さんも水とかはどうですか?

[熊谷さん]うちの方はほとんど水は止まらなかったです。電気もお店の方は翌日には点きましたし、自宅の方は翌々日に点きまして、水はどちらも止まらなかったので。自宅の方でも、本当にすぐ近くのマンションでは出なかったりしたんですけども、幸いうちの方は水道が出てたのでラッキーでした。

[佐藤]給水に並んだという経験は今回しなかったと。分かりました。佐賀さんは、朝から晩まで何回か水汲みに並んだりとか、奥様とか並んだりもされたんですか。

[佐賀]親父と2人で、両手ぐらいの水をもらってきました。

[佐藤]奥の方で水を?

[佐賀]そうですね、奥の方で、2列に並んで、2カ所から給水していました。

■夜明け前からダイエーに並ぶ人びと

夜明け前からダイエーに並ぶ人びと

2011年3月15日5時15分 仙台市青葉区中央2-3-6 ダイエー仙台店

[佐賀]これは食料がないということで、当時はツイッターとかmixiなんかから、どこで食料が調達できるという話になってまして、これは朝の4時くらいに、私はダイエー(スーパー)の前に並んでました。

[佐藤]この画像の撮影時間を見ると早朝になってたので、日の出前、かなり早い時期に並ばれたんだなと思いました。

[佐賀]早めだったので、まだダイエーの角辺りだったんですけど、1キロメートルほどある市役所の方まで列が長くなったというのは後から聞きました。

[佐藤]じゃあこれと同じ日に、続いてということになると思うんですけど。

■開店前のダイエーに並ぶ行列

開店前のダイエーに並ぶ行列

2011年3月15日7時4分 仙台市青葉区中央2-3-6 ダイエー仙台店

[佐賀]これ、皆さん新聞とか携帯電話とか見ながらですね、この時もまだ余震がありましたし、あとテレビ局の取材をされているとこなんです、ここ。

[佐藤]前に並んでいる人が取材を受けているのかな。

[佐賀]ええ、そういうとこですね。

[佐藤]この時は佐賀さん何か買われたんですか?

[佐賀]仲間で結構手分けをして、ちょっとこれを多めに、とか、そんな感じで。食べ物ですね。あと、祖母の所で牛乳が欲しいとか。でも牛乳は1人2本までとか、そういう規制はかかってました。そんな中で調達した感じです。

■ガソリンを求めて並ぶ人びと

ガソリンを求めて並ぶ人びと

2011年3月20日 仙台市若林区新寺2-1-14

[佐賀]これは新寺の所のコスモ石油なんですけども、ようやくガソリンが、確か半分くらいか、10リッターくらい入れてもらえるような状態で、ここはまだ長蛇の列で車が並んでたんですけど、朝から晩までひっきりなしで、もう数珠つなぎで、ガソリンをもらいにいきました。

[佐藤]これ、並んでいる人たちは灯油ですかね?

[佐賀]右側は灯油ですよね。左側はガソリンですかね。

[佐藤]ガソリンを携行缶で?

[佐賀]携行缶でもらったりとかじゃないですかね。

[佐藤]この時は佐賀さんもガソリンを入れに?

[佐賀]原付バイクと車へ入れに。

[佐藤]3月20日はまだ全然手に入れられないし、それこそ金額制限とか数量制限でガソリンとか灯油を買ってたときですね。

■初めて訪れた津波被災地域

初めて訪れた津波被災地域

2011年4月1日 仙台市若林区荒井

[佐賀]実は震災当日、ラジオで津波が来てますっていうのは聞いてたんですけれども、あまりこうピンと来てなかったんです。3日後、4日後くらいに電気が来てテレビを見たときに、やっぱり今まで想像していない、知ってる地域が非常に大きい津波に見舞われてたっていうのがあって、これは一回実際に見ておこうと思いまして、原付バイクで荒浜の方に向かって行ったんですね。

[佐藤]荒浜ですか、ここは。

[佐賀]荒井辺りかな。南小泉の奥、そっちの方だと思うんですけども、まだあまり車とかも入っていけないような規制がかかってたんですが、原付バイクでちょっと横道に入って、車では通りづらいような所も通れたので、向かって行ったんです。

[佐藤]4月1日になって津波の被災地に初めて行かれたんですか?

[佐賀]そうですね。目の前で見たのはこの日だったと思います。

[佐藤]これ、なんで行こうかなって思ったんですか?

[佐賀]やっぱり見ておかなきゃいけないかなと思ったのと、テレビではなくて実際に見ようと思いました。

[佐藤]この時はお一人で?

[佐賀]そうですね、一人で。

[佐藤]同じような感じで翌日も、ということになるんですかね。

■家族で津波被災地域を回る

家族で津波被害地域を回る

2011年4月2日 仙台市若林区荒浜

[佐賀]その続きで、こっちはもう荒浜の方までずっと、海のすぐ傍の方まで行ってみたんです。この時は実は子供たちを連れて。なんて言うんですかね、現実を見せたいなというか。私は宮城県沖地震の時に小学校3、4年生くらいだったんですけども、やはりそれが今回の大震災の時に、ちょっと活かされたところがあったので、子供たちにも、どうかなとも思ったんですけども、見せて、将来生き残ってほしいなと、こういうことがあった時に、と思ったので、わざと連れて行きました。

[佐藤]何か言ってました? 同じ光景を見たんでしょうけど。

[佐賀]どうなんですかね。あまり言ってはいなかったですけど、やはり本当に非現実的な光景だったように思います。

[佐藤]ラジオとかでは、地震直後200人から300人のご遺体が上がったと報じられたり、それから4月2日であればテレビも見れているし新聞でも報道されてますんで、そういうのは見ていたとはいえ、やはりご自分の目で見ると全然違う印象が強かったんですね。

■津波により転倒したビル

津波により転倒したビル

2011年8月16日 牡鹿郡女川町女川浜女川 江島共済会館ビル

[佐賀]女川の方はこの時が多分初めて行ったんですけども、東京から従兄弟が仙台に来てまして、どんな状態なのかを見たいということなので、一緒に女川とか石巻とか七ヶ浜とかあの辺を回った時です。要は、ビルが転がるということが本当に想像できなかったんですけども、怖くなりましたね。

[佐藤]この場所から見ると、このくらい津波の威力があったんだよね、ということが分かる写真だという風に思います。ありがとうございました。

*この記事は、2013年8月3日にせんだいメディアテークの考えるテーブルで行われた 『3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト公開サロン「みつづける、あの日からの風景」』で、佐賀隆薫さんがお話された内容を元に作成しています。
当日の様子(考えるテーブル レポート)→http://table.smt.jp/?p=4368#report

【3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは】
このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定 期的に行っていきます。これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。

【考えるテーブルとは】
人が集い語り合いながら震災復興や地域社会、表現活動について考えていく場を「考えるテーブル」と題して、せんだいメディアテーク、7階スタジオに開きます。トークイベントや公開会議、市民団体の活動報告会など多様な催しを行っていきます。

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せんだいメディアテークでは、市民、専門家、スタッフが協働し、東日本大震災とその復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していくプラットフォームとして「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれン!)を開設しました。

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