今回の津波では、仙台市若林区にある仙台東部道路の盛土構造が堤防の役割を果たし、津波の力を弱めたようです。江戸時代の慶長地震(1611年)では、もちろん現代のような構造物はなく、波はより内陸部の広範囲に及んだことでしょう。
海から直線で約5.5km離れている仙台市若林区の浪分神社では、「かつて津波が神社の前で分かれた」という言い伝えのとおり、今回の津波が神社創建時の地点の数百m手前まで達したそうです。さらに内陸に位置する蛸薬師堂には「蛸のついた観音様が打ち上げられた」という伝承もあります。
震災後、こうした言い伝えの残る場所の名前と由来を初めて知りました。
「3がつ11にちをわすれないためにセンター活動報告冊子(2015年2月発行 )」
「言い伝え(p46-47)」の解説より