(A)2010年12月11日/(B)2013年8月9日
「気仙沼プラザホテル」の下あたり。この「お魚いちば」は自力再建し、建物もほぼ元通りになった。
(A)2010年12月11日/(B)2013年8月9日
「お魚いちば」正面あたりの道路。震災前写真の左手、道路の縁石から海側のエリアが地盤沈下している。
(A)2006年4月11日/(B)2013年8月9日
気仙沼港入口から奥を臨む。左手が気仙沼観光桟橋エースポート。このエースポートは、震災前は旅客船のみ発着していたが、震災後は大島汽船のフェリーのみが発着している。米軍トモダチ作戦でも知られる大島は、震災で旅客船もフェリーも運行できず、一時孤立状態になった。震災から50日後に再開されたフェリーが、大島にとって人的輸送だけでなく物資輸送の生命線となっている。
(A)2010年12月11日/(B)2013年8月9日
被災後写真の船はカジキ漁船。震災後しばらくは漁ができなかったが復活し、撮影時は「カジキ突きん棒(つきんぼ)漁」の最盛期。
(A)2010年12月11日/(B)2013年8月9日
気仙沼港、海の市の裏側あたり。震災後の写真は震災前の出港岸壁から少し引いて撮影したもの。震災後にかさ上げされている様子がわかる。
(A)2010年12月11日/(B)2013年8月9日
鹿折地区、新浜1丁目交差点そば。(もう少し右手に進むと共徳丸があったあたり)。バス停も若干移動している。フカヒレ寿司発祥の店・大政寿司の親方は気仙沼寿司組合の組合長。震災2ヶ月後に気仙沼エリアの寿司店の親方4人で「流され寿司気仙沼握り屋衆」を結成し、全国各地の催事や復興イベント等を回る。その後、大政寿司は2013年春に東八幡前(旧店舗に一番近い再建可能エリア)に移転再開した。
(A)2010年12月11日/(B)2013年8月9日/(C)2016年11月4日
本吉エリア・階上地区にあったJR気仙沼線「大谷海岸」駅に併設されていた道の駅。ここは日本で一番海水浴場に近い駅として知られていた。「海の見えるレストラン」の看板が出ている建物がその駅舎。右手のトイレは半分だけ残っている。松林の手前に線路があった。震災後、道の駅は同敷地内に再建されたが、JR駅舎はなくなり、献花台が設置されている。鉄橋が落橋しているので、このエリアの鉄路再建には時間がかかると思われる。