■荒浜・八大龍王の由来
文政7年(1824年)建立。海難防止を祈願して建立されたもので、石碑には「海上安全当浜中」と刻まれています。龍族を代表する八龍王は八大龍神とも呼ばれ、龍はインド神話では蛇を神格化した人面蛇身の半神であり、雲雨を支配すると言われています。それが中国を経て日本に伝わり、水神として雨乞いや海上交通安全などのために海・川・湖沼等の水辺によく建立されるようになりました。
■震災前の荒浜・八大龍王
宮城県仙台市若林区荒浜に、八大龍王碑はありました。荒浜は海に近いため漁業も行われていましたが、田畑が広がり農業も盛んに行われている地域でした。また、荒浜には市内で唯一の、仙台駅からバス1本で来られる、市民にとって身近な深沼海水浴場がありました。
その深沼海水浴場への入口近く、海岸沿いに植えられた松林の中に「八大龍王碑」は鎮座していました。
八大龍王碑全景(2009年1月2日撮影)
八大龍王碑(2009年1月2日撮影)
手水鉢(2009年1月2日撮影)
小さな鳥居が南東に向かって据えられており、かつては、小さな社の中に「八大龍王」の文字が刻まれた2メートル余りの石碑が鎮座し、鳥居の脇には、お参りの前に手や口を清めるための水を溜めておく手水鉢(ちょうずばち)が置かれていました。手水鉢には名前が2つ掘られていますが、これは船乗りをしている息子さんともう一人の人の安全を願う父親が、その二人の名前を掘って奉納した物だそうです。
水難から地域住民や漁師を守ってきた八大龍王ですが、2011年3月11日の震災により流失してしまいました。
■2011年6月の様子
震災後、初めて荒浜を訪ねてみました。荒浜の町並みは失われ、残っているのは荒浜小学校と住宅の基礎だけでした。形が残っている住宅もいくつかありましたが、壁や窓が壊れており、誰も住んでいないことは明らかでした。
八大龍王碑は、鳥居こそ残りましたが、社や石碑は流され、割れた石碑が1カ所にまとめられていました。津波により土地が抉られたのか、鳥居周辺に大きな凹みができています。2009年に訪れた際に撮影した手水鉢は、どこにもありませんでした。
付近では、重機による瓦礫撤去作業が行われ、人の気配も感じられません。ただ、住民の方が置かれたのでしょうか。鳥居の前にはプラスチック容器が置かれており、そこにお賽銭が入っていました。
■2012年11月に再び訪ねる
再び、八大龍王を訪ねてみました。瓦礫の撤去作業は一段落していましたが、荒浜には荒涼とした風景が広がっていました。
八大龍王の鳥居が再建されていましたが、割れた八大龍王碑はそのままの状態でその場に残されていました。その八大龍王碑の近くには、東日本大震災の慰霊塔が立てられ、多くの人が慰霊に立ち寄っていました。
※この当時の慰霊塔は、現在よりも海側に設置されていました。
●水の神さまを探せプロジェクトとは
公益財団法人みやぎ・環境とくらし・ネットワークの水部会では、水辺の近くに必ずある「水の神さま」に着目し、仙台近郊の「水の神さま」を探し出してマップにまとめる『「水の神さま」を探せプロジェクト』を立ち上げました。
昔の人々は、水を大切にする心から水辺の近くに「水の神さま」を祀ってきました。「水の神さま」にふれることで、昔の仙台の水辺を知り、水を大切にするきっかけ作りをしようと始まったプロジェクトです。
わすれン!のウェブサイトでは、2008年より取り組んできた調査と東日本大震災による被害状況の比較を通じて、宮城県の水をめぐる歴史や地域との関わりについて発信していきます。
公益財団法人みやぎ・環境とくらし・ネットワーク
http://www.melon.or.jp/melon/index.htm
水の神さまを探せプロジェクト
http://www.melon.or.jp/melon/contents/Section/Water/wg/index.html