ごうけいほうもんしゃすう

3月12日はじまりのごはん/食事風景 41「普段は5世帯に分かれている家族が、3月11日から約1ヶ月間、同じ家ですごしていました。」

NPO法人20世紀アーカイブ仙台 & わすれン!協働企画

 

この記事は、「3月12日はじまりのごはん」の展示期間中に来場者が貼ったふせんやパネルの様子を紹介するものです。展示された各パネルの概要は[いんでっくす]ページをご覧ください。

▼「3月12日はじまりのごはん」とは
▼ふせんのコメントについて



[2014年秋]展示パネル

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[2014年秋]展示概要
期間:2014年10月1日〜11月16日
会場:せんだいメディアテーク




[2015年春]展示パネル

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   ※[2014年秋]展示時のふせんが付いたパネルに、来場者がコメントを書き足したものです。
   ※英語で書かれたふせんは、矢印の先にある日本語のふせんを英訳したものです。

 

[2015年春]展示の様子
期間:2015年2月20日〜3月18日
会場:せんだいメディアテーク

 

[パネルに寄せられた来場者のコメント]
写真の内容や場所に直接関係のないコメントもあります。

▷停電で電気が使えないので冷蔵庫(冷凍庫)大放出! 毎日焼肉食べてた(笑) 普段より食生活は充実してたかもw
The power was cut off and we could not use electricity, so everything came out of the fridge and the freezer! We ate yakiniku every day (LOL). You could even say that we were eating better than we normally would.

▷嫁が大事にしまっていた冷凍のウナギが満を持して放出された 震災のゴハンでは?

▷夕飯は食卓を家族でかこみ、ねぎ・たまご・大根のぞうすいを食べたのが記おくにのこってます。親類が農家で、野菜をもらったりカップメンわけてもらったりしました。あと、電気すぐに通ったので大勢で食べたりしました。
For dinner, our family would sit around the dinner table. I remember that we were eating rice porridge with leeks, eggs, and daikon radish. We have relatives who are farmers, and so we got vegetables from them. We would also divvy up cup noodles. We got the electricity back quickly, so we could eat meals with a large group of people.

▷あの時も妻と二人で採ったきのこを冷凍していました。10ℓの大鍋にストーブできのこ汁を4回つくって県営住宅の中を配ってあるきました。喜んでもらえた笑顔が忘れられません。

▷普段は5世帯に分かれている家族が、3月11日から約1ヶ月間、同じ家ですごしていました。個々が職場や自宅から持ち寄った物で暮らしていたのを覚えています。7人が一つのコタツに入ると電気が無くてもあたたかかったのが印象的でした。
Our family normally lived split between five households, but for about a month after March 11, we all lived together in the one house. I remember that everyone brought their own stuff from home or from work. When seven people get under a single kotatsu it does warm up, even if there’s no electricity. That made quite an impression on me.

▷うちも↑そうでした。あり得ない災害だったけど家族が一緒だったから笑っていられました。あの日、そんな大切な人をなくした全ての方にこれから先いいことばかり起りますように!!
It was the same for us. The scale of the disaster was simply unimaginable, but our family was all together, so there were even times when we were laughing. For all the people who lost their loved ones on that day, I pray that they will only have good things happen to them from now on!!

▷作りおきしていた煮物の汁をごはんにかけて食べた。味のあるものがとてもおいしく感じた3/12の夜

▷冷凍していたごはんを1ヶ月夫婦で分けて食べました。お米少ないので10日位ゆるいのを食べました。

▷ぐちゃぐちゃの部屋でレトルトのおかゆを立ち飲みしました。のども乾いていたし水分もとれて一石二鳥だった。

▷地震翌日、ようやくたどりついた家で、まずアイスを食べさせられた。溶けちゃうからって…

▷川内コミュニティーセンターにひなんしてて、そこで出てきたおにぎりと汁を食べた。

▷みんなではげましあった。文の認知症もまだ発症していなかった。リラックス、リラックス!!

▷職場であった学校で家庭科室の食料や先生方から集めたものでスープを作り、避難して来た方々にあたたまってもらったことを思い出しました。

▷震災当時、大学のある東京にいました。両親と連絡がとれず、ニュースを見て、不安で、自分が東京の安全な場所にいることが腹立たしかったです。親が何も食べられていないのではと思い。3日間、ほとんどご飯を食べられなかったのをおぼえています。食べちゃいけないと思った。それを見ていた友達におこられて食べるようになりました。

▷冷蔵庫にあまり備蓄がなく、残っている食材でぎょうざを作った。石油ストーブがすごく役にたった。この時たべたぎょうざは本当おいしかった。

▷避難所で支給されたおにぎりや菓子パン。1週間ぐらいそれだけだったので、体調崩してしまった。

▷3・11 翌日の朝ご飯は、ばあちゃんがコンロで炊いた、焼きたておにぎり。電気使えなかったからなあ…。

▷私は、あの日は1人でこわくてジャンパーを着たままインスタントのラーメンをかじりました。その後は数日たってから近所のキッサ店でカレーライスをはじめたのでさびしかったので500円支払ってカレーを食べたのが印象に残っています

▷3/11 夜、火の気が全然無い部屋でこたつの中にガスコンロ(けいたい)で温めた湯たんぽを入れて、家族3人身を寄せ合って、ラジオを夜どおし、聞きながら過ごしました。

▷3/11 キャンプ用のコンロでごはんを炊いて、かんづめのっけて食べた。ごはんをとぐ水がないから、ぬかっぽいの…思い出す。

▷3/12 はじまりのごはんは家族3人で、家にあるものをガスコンロを使い、鍋を食べた記憶があります。2、3日でカセットコンロが切れて困りました。

▷朝は避難所の高齢者と子ども優先だったので、なし。お昼、津波から生還した父がプロパンガスでインスタントラーメンを作ってくれた。半分諦めていた実家で、半分諦めていた父との再会。多分、一生のうちで一番おいしいインスタントラーメンだったと思う。

▷避難所で食べ物を見ず知らずの人たちでわけあいました。一緒に数日避難生活を人たち、その後どおなったのかあと思う日がよくあります。こっそりいただいた手作りチャシューめっちゃおいしかった!!

▷余震の中、母がにぎってくれたおにぎりを、石油ストーブで焼きおにぎりにしてたべた。放心状態で、あまり食べられなかった。

▷山形から義姉夫婦が来てくれて、食べ物を持ってきてくれました。本当に心強かった! 一生忘れません。少しずつ恩を返していきます。

▷3/12 紙コップ アルファ米をお粥にしてつないだ命 パン1/2でつないだ命ありがとうございます

▷3/12 翌日から仕事。会社社員皆の分の何か食べ物を手分けしてコンビニ、ドラッグストアに行って、入手。ほとんどお菓子。皆、喜んだ

▷とにかくパンが食べたくなりました。やっと手に入った時はすごくうれしかったです。

▷3/11 これだけの大きな揺れだから、ライフラインが止まる。突差にフロに水溜めた。カセットコンロで暖かい汁ものを食べた。夕飯。

 

ふせんのコメントについて
この展示には、仙台市内はもとより、沿岸部・内陸部、宮城県内外、国内・海外を問わず、大人から子どもまで、さまざまな立場の方々が来場され、展示された震災時の写真から想起したことを、ふせんに書いてくださいました。ここでは、その寄せられたコメントの原文を、そのまま掲載しています。なお、灰色の英文は日本語のコメントを翻訳したものです。





[基になった写真]

2011年3月12日河合洋介さん

2011年3月12日 宮城県仙台市泉区中山
記録:河合洋介さん
提供:NPO法人20世紀アーカイブ仙台

 

「3月12日はじまりのごはん」とは
炊き出し、買い物、食卓の風景など、震災時の「ごはん」にまつわる写真を展示し、それらの写真を見て思い出したことや当時の暮らしぶりなどを、来場者に自由にふせん紙に書いてもらう参加型展示です。この展示は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台と3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)が協働で企画しました。
展示された各パネルの概要や利活用事例等は[いんでっくす]ページをご覧ください。

 

センターについて

せんだいメディアテークでは、市民、専門家、スタッフが協働し、東日本大震災とその復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していくプラットフォームとして「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれン!)を開設しました。

3がつ11にちをわすれないためにセンター
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