●風呂/石材
《玉石磁器モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石磁器モザイクタイル張り、モザイクタイル張り
浴槽:ステンレス製(和式)モザイクタイル張り、100角半磁器タイル張り
《玉石磁器モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石磁器モザイクタイル張り
浴槽:ステンレス製
《玉石磁器モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り
《玉石磁器モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り
《玉石モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り
浴槽:ポリエステル樹脂製
頑丈な基礎の上に建てられていた建物は大邸宅だったのだろうか。
浴室とトイレの大きさはやはり住宅のように見える。
《玉石モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り(だんご張り工法)
床:玉石モザイクタイル張り
※奥浴室・手前トイレ
《玉石モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り、角モザイクタイル張り
《玉石モザイクタイル》
床:玉石モザイクタイル張り
別棟の浴室は井戸の傍にある。
水道が引かれる前は井戸水を利用していた。
外便所、外風呂は農漁村では一般的なしつらえだった。
震災前まで使用されていたかどうかは分からないが、浴槽は半埋め込み型。
戦後の日本の暮らしの様子がうかがえる。
《玉石モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り、角モザイクタイル張り
《玉石モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り、角モザイクタイル張り
《玉石モザイクタイル》
床:玉石モザイクタイル張り
《玉石モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り
《:玉石モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り
浴槽:ポリエステル樹脂製
《玉石モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り
《玉石モザイクタイル》
床:玉石モザイクタイル張り
《玉石モザイクタイル
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り
《玉石モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り
《玉石モザイクタイル》
壁:100角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り
浴槽:ステンレス製
《玉石モザイクタイル》
床:玉石モザイクタイル張り
浴槽:ステンレス製
《玉石モザイクタイル》
床:玉石モザイクタイル張り
アプローチ:カラークリートモルタル仕上げ
土間:カラークリートモルタル仕上げ
踏み込み:カラークリートモルタル仕上げ
《玉石モザイクタイル》
壁:150角半磁器タイル張り
床:玉石モザイクタイル張り
ボーダー:角モザイクタイル張り
浴槽:ホーロー鉄板
《玉石モザイクタイル》
壁:角モザイクタイル張り
床:玉石モザイクタイル張り
台:角モザイクタイル張り
浴槽:ポリエステル製
外幅木:寒水石洗い出し仕上げ
なんと個性的で斬新で素敵な浴室だろう。
どんな家族が暮らしていたのかな。見せるためではない家族だけのしつらえ。
この浴室を見ただけでとても想像を豊かにしてくれる。
《玉石モザイクタイル》
角モザイクタイル張り
壁:磁器角モザイクタイル張り
床:玉石モザイクタイル張り
浴槽:角モザイクタイル張り
■詳細解説「私と荒浜・藤塚地区とのかかわり」髙橋親夫
私は震災後まもなく若林区荒浜・藤塚地区に入りました。その後、数ヶ月にわたって何度かこの地を訪れ、行くたびに茫然とその光景を眺めていましたが、やがて破壊された家財や建物が取り除かれてゆき、その下から荒浜や藤塚地区のそれまでのたくさんの住居跡が現れました。この地域に地層のように残されていた生活時間や文化の重なりは、佇んでいた私にたくさんのことを語りかけてきました。私は自分の生い立ちと重ねながら、残された「家」の声を聞き取ることに夢中になっていきました。
それぞれの住宅を訪問するたびに、居住していた方の、家を建てた時の喜びを思いました。残された住居跡に長年の夢や希望やアイディアが詰まっていることに気づき、当時の人たちに思いを馳せたのです。残されていたものから、施主の期待に応えようとした、職人たちの心意気を感じ取ることができました。それぞれに個性があり、二つとして同じ家はありませんでした。そして、その後そこで暮していた家族の生活の時間を思いました。
残されていた住居跡には、もう生産されていない材料や今は行われていない職人技が見られました。特に目を引いたのは、かつて盛んに行われていた左官技術の数々です。工場生産品に取って代わられた現代の住宅建築では行われていないものばかりで、できる職人もほとんどいなくなってしまった手仕事の良さが見て取れました。この地域には他のどの地域よりもそれが残されていました。
住居跡からは、残されていたものが限られていたにもかかわらず、海側にはこの地が豊かで農業と漁業の兼業生活の長い歴史があったことや、それに続く西側には新しい住宅地が広がり、自然豊かなこの地域に発展の息吹があったことを知りました。
私はこれらの生活跡がやがて復興工事と共に消滅してしまうことを思い、荒浜や藤塚地域の方々のくらしの証としての調査と、記録を始めたのです。