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2回のチリ地震経験がもたらしたもの(仙台湾南部)

宮城県亘理郡山元町の津波の記録

この記事は、東日本大震災から13回忌を迎えた2023年3月に、震災当時宮城県亘理郡の山元町で暮らしていた佐藤修一さんが、ご自身の体験をもとに執筆したものです。
(以下、文:佐藤修一)

1回目の津波経験(チリ地震)

1960年(昭和355月)、当時山元町役場に勤めて3年目、朝8時に出勤すると、磯浜漁港の事務所から、海の水がなくなっている、早く来て確認するように電話があり、早速測量機具を車に積んで現場に向かった。30分程で現場に着いて驚いた。よく見てみると海岸から500メートル程、海水がすっかり無くなり、海底は黒々で、所々に水溜まりが出来ていた。広々としたところに漁港施設の防波堤が小山のように横たわっていた。水が引いているうちに、防波堤の測量調査を済ませようと作業に取りかかり2時間ほどかけ終了した。
海を見に来た多くの人達は、小魚や貝、海藻を籠一杯に積みこんで帰り仕度、昼頃になってようやく、海水が元に戻り、津波のような高波が発生することなく終わった。
この経験が後で六百余人もの死者を生む結果となってしまった。

2回目の津波経験(チリ地震)

2010年(平成222月)長女の夫が岡山に勤めていることから、孫達のピアノ発表会に招待され宿泊していた朝、仙台在住の義理の妹から、どこに避難しているのと、海岸近くに住んでいる私達を心配しての電話だったようだ。岡山に避難していると冗談まじりに返答したら、こちらは大変だ、東北地方海岸に津波警報が発表され、避難指示が出ているよとの事だが、遠くに居るのでどうしようもなかった。
当日の計画は四国松山の道後温泉、止む無く出発したしまなみ海道を通過中、車のラジオからは盛んに東北地方海岸に警報が出ていると放送が流れていたが、いつのまにか忘れてしまい、温泉に一泊後帰郷してまた驚いた。避難指示にもかかわらず、ほとんどの人は駐在さんが一軒一軒廻ったのに避難しなかったと。
後で聞いたことだが、当日予定されていたホッキ祭りは、準備を終えたところで中止にしたとのこと。
このことは東日本大震災の1年前のことだった。

3回目の津波経験(東日本大震災)

2011年(平成23年)3月、前年の空振り避難指示から1年後、3111446分、突然激しい揺れに見舞われた。上下左右に7分程続いた。こんな地震は経験にないことだった。ようやく揺れが止まり、建物を見廻ったが屋根瓦に一部破損が判明したがほとんど破損はなかった(地盤が砂地のため)。
そんな時、「逃げろ、逃げろ、本当だ、本当だ、早く、早く」と尋常でない声で地区消防団が回ってきた(町の防災無線が故障)。ようやく津波に気づき、高台にある山元町役場に車を走らせた。混み合う大通りを避けて、田んぼの中の農道を通過中、四国に住んでいる娘がテレビを見てか「絶対に戻らないで」と携帯に電話があった。30分程で役場に到着した。
災害対策本部は設営され職員は忙しく走り回っていた。そんな中津波が見えた。海の見える場所に移動しビデオ撮影を始めた。現状を受け止めることができずビデオを持つ手も震え、なかなか焦点が合わずカメラから顔を外して見ると防潮林のはるか上を白波が一波、二波と超えて来る度に「あゝ もうだめだ、だめだ」と声が聞こえて来た。まもなく集落は水没し住宅が流され始めた。

2011年3月11日16時12分、高台から見た津波の様子

あとから聞いた話ですが、津波の状況は、海岸林の中からバリバリと音をたてながら砂煙があがりしぶきをあげながら、高さ12メートルの波が内陸をめがけ、あたかも「ヌーの大移動」を思わせる勢いで、山元町の全面積の約3分の1を水没させた。
この時の主な震源地は三陸沖で(牡鹿半島の東南東130キロメートル付近)マグニチュード9.0、山元町震度6強、千年に一度の震災と言われております。死者637人、何故こんなに多くの犠牲者が出たのでしょうか。

私の津波経験から推測してみたい。2回の津波は地球の裏側チリという大変遠いところでのこと、地震の震動は感じられないところでの津波、昔から言われて来た「地震があったら津波の用心」は通用しないところでの津波、2回の経験でてっきり津波は来ないものと勘違いしてしまった。

幸運にも命だけは助かりましたので後世に記録を残したく筆を執りました。

佐藤修一

 

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