牡鹿半島折浜 リフォトグラフィー(再撮影) Part 1

2024年3月17日

石巻で一泊し、「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(略称:わすれン!)のウェブサイトのマップを見たところ、牡鹿半島の二つのフォトレポートの場所(「宮城県石巻市折浜」と「宮城県石巻市折浜蛤浜:静かな海」)はその後だれも訪れていないことがわかった。両方とも2011年7月16日に撮影されたもので、当時わすれン!のスタッフだった越後谷出さんによるものだ。近くにいたこともあり、再撮影が目的だったので、少し東に寄り道して、折浜と蛤浜を訪れた。これは、撮影から13年を経てのフォトレポートである。第一部は折浜、第二部は蛤浜に関するものだ。 

越後谷さんは蛤浜を偶然見つけた後、折浜へ向かった。私たちはその逆のルートをとり、まず折浜に向かい、その後蛤浜、そして石巻市街地へと戻ることにした。集落へと降りる道を進むと、左手は海の眺めが新しい防潮堤に変わっていた。

 

さらに港の先端まで車を走らせると、このあたりではよく見かける光景に出会う。積み上がった牡蠣の殻やホタテの貝殻。この13年間で漁業の営みが戻ってきたことを感じた。

 

浜辺を歩いていると、越後谷さんの投稿にある最初の写真、南向きの集落を撮影した場所にたどり着いた。よく見ると、写真の右側に見えていた建物は、今では高い防波堤の後ろに隠れており、以前の写真では壊れた家の後ろに突き出ていたことがわかる。さらに、水際に赤い係留柱がいくつか並んでいるのが見える。私たちの撮影した画像では、フォークリフトのこちら側に4つしか見えないが、視界に入らないフォークリフトの向こう側にもう一つある。

一見、海辺の部分に大きな変化はないように見えるが、コンクリートの地面は新しくなっている。係留柱は以前と同じ場所にあるようだ。Google Earth Proのデスクトップアプリで過去の画像を見ると、このあたりは2012年から2015年の間に更新され、一番大きな変化(防潮堤)は2015年から2018年の間にかたちづくられ、今ではこの場所から道路が隠れてしまっている。
越後谷さんが北を向いて撮った画像では、反対側から見た同じ場所が写っている。この画像では集落へ続く道に黒い袋が並んでいるのが見えるが、今その景色はかなり高い防潮堤と、その前に設置された太陽光パネルに遮られている。フォークリフトの向こうにあった入り江も、護岸のためのコンクリートで強化されている。遠くに見える木々の中には、緑の少ない時期であるにもかかわらず、越後谷さんの写真に写っていた3本の常緑樹が今もしっかりと立っているのが見える。

 

現在の入り江を見ると、小さなビーチに漂着物が散乱している。その様子を見るためには防潮堤から身を乗り出す必要があった。防潮堤を越えさせないためのフェンスがあったが、入り江を見るためにはフェンスを越える必要はなかった。

 

越後谷さんの残りの二枚の写真は、他の写真から少し離れた場所で撮られている。どちらも被害をうけた建物にレンズを向けたものだ。一枚目は先ほども述べた現存する高台の建物のところから撮影されたもので、その前にあった壊れた家は越後谷さんのフレームの右側に写っていたものだ。コンクリートの基礎には二つの階段があり、一つは青い車の後ろに、もう一つはおそらく軽トラックに隠れているようだ。ここで二つの点に気づく。一つは(写っている階段近くの)電柱の位置がほぼそのままであること。もう一つは、基礎がかなり短くなっており、一部が金属のフェンスになっていることだ。

 

その金属のフェンスも、経年劣化によるものか、何らかの事故かで傷んでいた。下の写真では、コンクリートの基礎が切断されているのがわかるが、2011年に撮影された時には全体がしっかりあったので、津波の後しばらくしてからということになる。この時点で、越後谷さんが言及していた家々がまだ存在しているのに気づいた。どんな人がまだ住んでいるのだろうと考えていたら、どこかの家に向かって、そこの住人を大きな声で呼んでいる声が聞こえた。浜中に響いていた。

 

ちなみにバスの時刻表も、見逃すわけにはいかなかった。こういった地域の苦労がよく分かるもので、午前に石巻に出るバスが一本、そして午後に戻るバスが一本だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

越後谷さんの最後の写真は、壊れた建物を近くから撮ったもので、すでになくなってしまったものだ。場所は正確にはわからなかったが、遠くの木々と葉の感じから、おおよその場所を推測することができた。そのため私たちの写真は、越後谷さんの最初の画像に写っていた壊れた建物の見た目と、防潮堤が道路と海を隔てている中で近づける範囲を考慮に入れた推測に基づいて撮影したものだ。

 

再撮影をすることで、気づいたことは他にもある。今回は、牡蠣の養殖に使うためにきれいに縫い付けられたホタテの貝殻や、何かの(タイヤのない)車らしきものが黒いシートの下にしまわれているのを見つけた。どちらも、このかなり隔絶された集落でもしっかりと人の暮らしが息づいている証だった。他に見つけたものとしては、つい最近、なんと私たちが訪れたその月に設置された記念パネルがあった。そのパネルには、1868年10月12日に七隻の船団が折浜沖に集結し、その後函館へと退却していったことが記されていた。そうして私たちは(退却ではなく)蛤浜へと向かうことにした

 

 


※Rephotography (リフォトグラフィー) とは、昔の写真に写された場所を訪ね、同じ場所で新たに撮影をし、それらの写真を比較すること。

※これらの再撮影は、Gary Mcleod(ギャリー・マクラウド)さんがDNP文化振興財団の助成を受けてフィールドワーク中に行ったものです。

この記事はGary Mcleodさんが英語で執筆した記事を当センターが日本語に翻訳したものです。
Orinohama:Oshika peninsula rephotographed, part 1

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