2024年3月17日
これは、2011年7月16日に当時「3がつ11にちをわすれないためにセンター」のスタッフだった越後谷出さんが写真を撮影した場所を再訪する二部作のうちの第二部だ。越後谷さんは道に迷った末に偶然蛤浜を見つけたが、私たちは最初からそこへ向けて出発した。まず折浜に行き、その後気になったので小竹浜へ足を伸ばし、最後に石巻へ戻る途中で蛤浜に立ち寄った。
私たちは越後谷さんの画像に写った場所を再撮影するために来たが、折浜とは対照的に、蛤浜には何かしらの物語が漂っているような気がした。駐車場が指定されているというのも、ここには昔から訪れる人々がいて、その人たちに望まれている役割があるのだろう。実際、かつての砂浜の評判や、集落の強い絆、そして2011年の苦難、残された住民たちの生活を取り戻そうとする努力について、後から知ることになった。もしもう少し時間があったら、駐車場を見下ろす場所にある「浜の暮らしの はまぐり堂」のカフェにも立ち寄っていただろう。
まずは、バスの待合所のように見えるものの写真から撮影をはじめた。私はこの待合所についてのストーリーを分かっていないが、Google ストリートビューの過去の画像を使って調べたところ、越後谷さんが訪れた時点から2年以内に道路の反対側に移されていたことがわかり、私たちが訪れた際にもその場所にあった。元々待合所があった場所には駐車禁止のコーンと密漁禁止の看板が置かれていた。この待合所の向きが変わったことは興味深く、海との関係について何となく考えさせられた。最初は海を避けるように、その後は海を受け入れるように――これも、個人的な、単なる推測に過ぎないが。しかし、推測でなく確かなのは、公共交通機関を待つために待合所に座らなければいけないことだ。折浜と同じように、ここには石巻へ行くバスと石巻から来るバスが一日に一本ずつあるだけだ。
次は、越後谷さんが撮影したひらけた海岸線の写真だ(注:私たちは元の記事と同じ順番では再撮影していない)。バスの待合所は画像の中央に、そして道路も見える。2011年にははっきりとした防潮堤はなく、ガードレールだけが道路と浜辺を分けていたが、道路自体は海より高くなっていた(私の出身地イギリスの海岸と同じような道路と海の分け方だ)。訪問した時には、この地域の他の海岸線と同じような新しいコンクリートの壁が確認できたが、かなり低いものだった。両方の写真を比較すると、この新しい構造物は何かを新たに建設したというよりは、すでにある物を補強したという感じに見える。同じ画角で撮影し、元の写真との連続性を強調してみた。例えば、左側にある電柱の位置、奥の道路とその壁、そして中央右に見えるテトラポッドなどだ。しかし、比較して目に付いたのは、浜辺に置かれたコンクリートの板だ。同じものだろうか? おそらく違うだろうが、私たちは「見る」という行為、そして「考える」という行為のただ中にいた。
ここで写っている場所を進み浜辺を歩くと、越後谷さんが2011年の津波で壊れたコンクリート桟橋を撮影した場所にたどり着いた。正確な撮影場所を特定できなかったため、桟橋が修復されているのか、それともそのまま放置されているのか、視覚的に伝えるのが難しかった。Google Earthのデスクトップアプリで過去の衛星画像を見たところ、桟橋は元の長さには戻されていないことが分かった。そこで、両方の画像を、残っている部分の位置に合わせることにした。そうすることで、取り除かれたコンクリートの塊が際立つことになった。越後谷さんは桟橋の端からも二枚目の画像を撮影していた。私自身はコンクリートの上に降りるのがためらわれたので、ドローンを飛ばして越後谷さんが撮影したと思われる場所から撮影した。コンクリートの端は明らかに同じ状態で残っていたが、 コンクリートに描かれたマークはすっかり消えていた。水面下には黒い塊が残っているのも見えた。消えたのは壊れた部分だけだったのだ。それは、破片というものは破壊を表すものとして見られるか、あるいはロマン派的な美しさの表現として見られるかのどちらかしかない、ということを思い起こさせた。純粋に美的な観点だけで言うなら、その破片がまだ残っていたらよいのにと思う気持ちもなくはなかった。
さらに浜辺を歩くと、状態や用途が異なるいくつかの小屋やキャビン、シェルターがあった。他よりも豪華なものもあり、この浜辺を訪れる人々の多様性を物語っている。
このレポートの最後の写真は、正確に同じ地点から再撮影したものというよりも、水際から見下ろすという体験それ自体を再撮影したものである。越後谷さんは海、砂、そして漂着物を撮影していたが、私のフレームでは、潮の満ち引きで砂に残された貝殻の量が目立つ。多くの貝は牡蠣の殻のように見えたが、洗われた手袋もあり、それを伝える画像の有無にかかわらず、この浜辺には、歴史があるということをしっかりと思い出させてくれた。


※Rephotography (リフォトグラフィー)とは、昔の写真に写された場所を訪ね、同じ場所で新たに撮影をし、それらの写真を比較すること。
※これらの再撮影は、Gary Mcleod(ギャリー・マクラウド)さんがDNP文化振興財団の助成を受けてフィールドワーク中に行ったものです。
この記事はGary Mcleodさんが英語で執筆した記事を当センターが日本語に翻訳したものです。
Orinohama:Oshika peninsula rephotographed, part 2