10年目の校庭で

節目のテキスト:2020年11月(9年8ヶ月)


2020年11月4日

宮城県内の新任校長研修会が大川小学校で行われ、案内を担当しました。
「明日、学校に行ったら『校長先生は昨日、大川小に行ってきました』と子どもたちや先生に話してください」とお願いしました。10年目でようやく言うことができました。
明日、宮城県内の少なくとも90校で校長先生が大川小の話をしてくれます。そこからが始まりです。研修が目的ではありません。

初めての研修ということで報道の取材もたくさんありました。10年目で初めてこの場が設けられたことと、50分間動かなかったあの日の校庭は、同じ構図のようにも思えます。

教師が「シンプル」に「丁寧」に命に向き合うこと、それが十分に出来ていない状況があるのであれば、どうかその構図を変えてほしいと願います。

「あ、校長先生がズラッと並んでいるぞ。」風の音や工事の音に紛れて、ひそひそ話が聞こえてきます。

 

あとがたり
2025年2月5日

2020年、宮城県の新任校長の研修会が大川小学校で行われることになり、案内を依頼された。11月4日、10年目の校庭に県内の校長先生方が90名以上集まった。

震災後間もない時期から、県や市の教育委員会には「大川小学校を学びの場所にしてほしい、協力します」と伝えてきたが、なかなか実現しなかった。この日は報道の数も多く、「なぜもっと早くやらなかったのか」と聞かれた教育委員会は「判決が出たので」と答えたが、それは理由になっていないだろう。裁判がなかったら、違う判決が出ていたら、ずっとやらないのだろうか。

裁判があろうがなかろうが、毎日子どもたちは学校に通ってきているのだ。
子どもにとって、学校はたまたま通りかかった場所ではないし、教師はたまたまそこに居合わせた大人ではない。「念のため」が、一般住民と同じでいいはずがない。あの時、子どもたちを救えたであろう最大の要素は「学校にいた」ということ。これからもそうあるべきだと、私は信じている。

集まった校長たちの中には知っている顔も多かった。「今日は何を言ってもいいですよね」と最初に言った。「何も言わなくても分かりますよね」とも言った。みんな頷いてくれた。
「校長先生は大川小学校に行ってきたよ」と子どもたちに伝えてほしいと最後にお願いした。その一言だけで全然違う。私がこの場所でずっと言いたかった言葉。ようやく言えた。


参考:佐藤敏郎のブログ「これまで、ここから~大川小学校のこと」
https://korekoko.blogspot.com/

*「50分間動かなかったあの日の校庭」
校庭での時間経過の詳細は、下記の記事もご覧ください。
「未来をひらく」 https://recorder311.smt.jp/blog/71565/

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