今年も夏祭りがありました

次女みずほのこと

2014年815

あなたの大好きなふるさとで
今年も夏祭りがあって
田んぼのまん中の
自転車の練習をしていた
あのあたりから
花火があがったよ
友だちといっしょに見ているだろうな

いそいそ出かけた夏祭り
浴衣着て
楽しそうに

大人も子どももみんな笑顔
輪投げ 金魚 かき氷

 

あとがたり
2015年1121

私の住んでいる大川の福地(ふくじ)地区では6人の小学生が犠牲になり、710日に、地区にあるお寺で合同葬儀が行われた。

お寺の前には広場がある。あの子たちがよく遊んだブランコや滑り台が見える本堂に、6枚の写真が並んだ。多くの方々が参列したが、消防団はじめ地域のみなさんが交通整理や受付をしてくれた。

福地の皆さんに育てられて、送られて6人は旅立った。






毎年814日に夏祭りが行われていた。いわゆる「盆踊り」だ。お寺の前の広場にやぐらを組んで、テントを張って、地元の実行委員や子ども会の育成会が、焼き鳥やかき氷を作って、子どもたちは浴衣姿で、かき氷、輪投げ、金魚すくい…。大人も子どもも、帰省している懐かしい顔も、みんな集まって、それはそれは楽しい一日だった。私は毎年司会を務めていた。










2011年は、何をやるかの前に「祭りをやるかどうか」が話し合われた。いろんな意見が出たが、実施することになった。子どもたちが毎年楽しみにしていた夏祭り、今年もきっとそのはずだ。

私も毎年実行委員になっていたので準備会に呼ばれた。盆踊りではなく、花火を打ち上げることになり、資金集めを進めているとのこと。ボランティアの皆さんも全面的に協力してくれる。

そして、二つ上の先輩が当たり前のように言った。

「敏郎、司会頼むぞ」

みんな頷いていた。
福地に生まれてよかったと思った。




夏祭りの終盤、花火が打ち上げられた。田んぼの真ん中、娘が自転車の練習をしていたあたりから。
花火には鎮魂の意味もあるそうだが、きっと見ているだろうなと思って空を見上げた。

福地夏祭りは、それからも毎年開催され、花火も上がっている。大川小学校の子どもたちも遊びに来るし、ボランティアの方々の同窓会のようにもなっている。

それ以前からずっと続けてきた夏祭りだから、あの年にできたのだと思う。
子ども会の廃品回収もそうだ。毎年、春、夏、冬休みには子どもたちが各家庭を回って廃品回収を行うのが恒例だった。小学生が3人だけになったその年は、さすがに中止やむなしと思っていたら、中学生が「私たちが手伝います」と申し出た。

どんな大津波が来ても流されないものがある。







※福地の夏祭りは10回を区切りとして2021年が最後になった(コロナ禍のため2020年は中止、21年は花火だけ打ち上げた)。
現在(2025年)は、秋に大川地区全体の「大川元気まつり」が行われている。

 

あとがたり
2025年1021

2024年、福地地区のお寺の前に子どもたちの慰霊碑を建てた。
交流のあった山梨県の彫刻家、浜田彰三さんから贈られたもので
6人のかわいらしいお地蔵様が彫ってある。

そばに何体かの小さな地蔵が建っている。彫ってある文字をよく見たら
昔、幼い子を亡くした親が建てたものだと分かった。

六地蔵には時々花が添えられている。



参考:佐藤敏郎のブログ「これまで、ここから~大川小学校のこと」
https://korekoko.blogspot.com/

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