3月11日の夜は、避難先で誰かが持っていたラジオを聞いていました。アナウンサーの声が、仙台の荒浜をはじめとした、沿岸部各地の津波被害の状況を繰り返し伝えます。ろうそくと石油ストーブの光が灯る薄暗い部屋で、電気も使えず、何もできることもなく、その晩はひとまず横になりました。
朝日がのぼり始める頃、ラジオからは、リスナーへのエールの声が流れて来ます。そして、3月12日の朝刊を見て、今回の被害の大きさを知ることになりました。
「3がつ11にちをわすれないためにセンター活動報告冊子(2015年2月発行 )」
「翌朝(p30-31)」の解説より
■翌朝に撮影された写真
翌朝(2011年3月12日)に撮影された写真を時刻順に紹介します。
《朝日》
▷ 5:49 山元町役場で迎えた黎明
▷ 6:15 太白区のマンションから見えた日の出
▷ 6:21 石油コンビナート火災の黒煙に覆われる仙台新港
▷ 6:24 津波がひいたあとの荒浜小学校プール
▷ 6:34 松林の海岸から校舎まで周囲すべてが海と化した荒浜小学校からの眺め
▷ 7:32 仙台新港火災の黒煙にけぶる朝日
《翌朝》
▷ 6:30〜 避難所になった岡田小学校とその周辺
▷ 7:07〜 2階まで津波が来た荒浜小学校の校内と周囲の様子
▷ 8:25 防寒着のまま夜を明かした宮城野小学校体育館
▷ 8:30 一部が開店していた仙台朝市
▷ 8:50 アーケード街で早朝からの充電待ちの列
▷ 出勤途中で目にした洋食店の被害
▷ 七北田川沿いにあり津波に呑まれた中野小学校の校内と周囲の状況
▷ 迫り来る仙台新港石油コンビナートの黒煙
▷ 津波が引いたあとのJR本塩釜駅前商店街
■翌朝の写真を含む記事
翌朝に撮影された写真を含む記事を、エリアごとに時間順にまとめました。
《仙台市内陸部》
▷ 6:15 車中で過ごした不安な夜が明けて(太白区)
▷ 6:21 自宅から目撃した仙台新港の火災(宮城野区新田)
▷ 8:30 静まりかえった仙台朝市の様子(青葉区中央)
▷ 8:50 アーケード街では携帯電話充電の行列が(青葉区一番町)
▷ 翌朝も出勤しようと通った137号線での光景(若林区大和町)
《仙台市沿岸部》
▷ 6:30~ 避難所運営が始まった岡田小学校の校内と屋上からみた地域の様子(宮城野区岡田)
▷ 7:07~ 津波によって孤立した荒浜小学校でヘリ救出が途絶えてから(若林区荒浜新堀端)
▷ 津波に襲われた中野小学校の翌朝の職員室や校舎内外・近隣の状況(宮城野区中野字西原)
《宮城県沿岸部》
▷ 翌朝の仙台新港火災の臭気と水がひいた後のJR塩釜駅前商店街の様子(多賀城市・塩竃市)
■翌朝に記録された映像など
翌朝も含む3月11日~15日に撮影された映像を基に、当時の動向を、映像・写真・音声・テキストで再構成した記事です。
▷ 災害対策本部・避難所となった山元町役場(宮城県亘理郡山元町)
■翌朝のことを綴った記事
翌朝のことについてテキストやコメントで記録した記事です。
《翌朝のことについてふれた手記》
▷ 翌朝、家族と合流できたこと(仙台市青葉区)
▷ 朝になって実家が津波で浸水したことを知る(仙台市青葉区)
▷ 再避難した中学校で必要となった物資調達に朝から奔走(宮城県石巻市)
▷ 停電のなかストーブを持ち込んで出勤・開店したこと(青森県弘前市)
《翌朝についての付箋(ふせん)コメントを含む「3月12日はじまりのごはん」シリーズの記事》
01 :3/12の朝、出社途中にいたがきでリンゴを買いました。
07 :3/12朝、出社途中で五番丁のコンビニにより弁当を3つ買いました。
28 :3/12 初めて口にしたもの。職場にて菓子パンを食べた。(支援物資か)
41 :翌日の朝ご飯は、ばあちゃんがコンロで炊いた、焼きたておにぎり。
45 :母が12日に反射式ストーブの上にフライパンをおいて目玉焼きをやいてくれました。
52 :12日の朝、見ず知らずのアメショーの猫と冷たい食パンを半分こして食べた。
55 :私は、その朝は何も食べず、近隣を見回りして、買い物できるお店をさがしました。
66 :3/12の朝、ヒナン所でアルファ米をたいたご飯が配られると、「温かいご飯が食べられるのは本当にありがたいねぇ」という声が聞こえた。
69 :3/12の朝に営業しているコンビニで買えたのは0Kcalのゼリーだった。それでも大切な食料だった。