宮城県南部にある白石城は戦国時代の文献に初めて現れて以降、幾度かの城主の変遷を経て江戸幕府成立以降は仙台藩のものとなった。
江戸時代を通じて幾度かの地震被害が古文書に残るこの城は、戊辰戦争における藩降伏の後に売却され、明治7年に解体された。
現在の白石城は平成7年に復元されたものである。以後、白石市のシンボルとして親しまれてきたが、2011年3月11日の地震により被災した。その被害の様子と復旧後の姿を写真に収めた。
■三階櫓(天守閣)
仙台藩における「一国一城令」の例外とされた白石城。城主は伊達家家臣片倉氏であり、主君である伊達氏の仙台城(青葉城)に天守閣がないのを憚って天守を「三階櫓」「大櫓」と呼ぶようになったという話が伝わっている。
■三階櫓(天守閣)上部
三階櫓外側は壁や瓦に被害が出た。修復後真っ白になった壁がまぶしい。
■三階櫓(天守閣)内部
三階櫓内部でも壁がはがれる等の被害が出た。壁はやはり真新しく塗りなおされた。
■大手門 遠景
三階櫓から見た大手門。遠くからでも大きく壁が剥がれおちているのがよくわかった。
■大手門
大手門の壁が剥がれた部分を地上から撮影。
■鬼小十郎まつりと白石城
2011年10月には三階櫓(天守閣)と周囲の安全を確認した上で、ヒビなどの被害はそのままに「第四回鬼小十郎まつり」が行われた。2012年には復旧工事が終わり、真新しい白壁の城のもとで「五回目鬼小十郎まつり」が開かれた。
「鬼小十郎まつり」のメインイベント再現合戦「道明寺の戦い」の中で三階櫓から降りてくる忍者。本業は消防士さんらしい。他の再現合戦参加者も全国から集まった有志で行われる。
三階櫓から催し物を見る人たち。修復前は壁のヒビが目立っていた。