これらの定点観測写真は、津波被災地域における農業支援、地域支援などの活動に取り組む一般社団法人ReRoots メンバーが、Yahoo! JAPAN「東日本大震災 写真保存プロジェクト」の記録から同法人と縁ある地区の写真を探し、同地点からその後の様子を撮影したものです。
■藤田公会堂周辺(荒井土才敷)
(上)2011年3月12日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月18日(撮影:一般社団法人ReRoots)
東部道路と並行する海側の道。
海岸から3キロメートル以上内陸にあるが、防風林の松はここまで根こそぎ流されてきた。
■東部道路周辺(荒井平田)
(上)2011年3月12日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月18日(撮影:一般社団法人ReRoots)
左の高架部分が東部道路。津波がここで堰き止められた。
■県立仙台一高第二運動場(荒井藤田東)
(上)2011年3月14日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月18日(撮影:一般社団法人ReRoots)
東部道路に面した5,500坪の広大な敷地も、がれきや松で埋め尽くされた。
■水田の復興(荒井神屋敷)
(上)2011年3月18日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(中)2011年6月14日(出典:Yahoo!JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月19日(撮影:一般社団法人ReRoots)
区内田園地帯の東端に位置する神屋敷地区。
田んぼは畑より被災から作付けできるまでの圃場整備に時間がかかる。
3年目にしてようやく稲穂が実った。
■笹新田バス亭付近(荒井笹屋敷)
(上)2011年4月9日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月18日(撮影:一般社団法人ReRoots)
震災から1カ月後の段階では、がれきを寄せて、車両が通行可能な道をひらくのがやっとだった。
■荒浜交差点(荒浜新堀端)
(上)2011年6月14日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月18日(撮影:一般社団法人ReRoots)
ここは荒浜地区海側の玄関口。
せっかく残った遠景の松並木だが、時を経るにつれ次第に減少が進んでいる。
■荒浜交差点のガソリンスタンド(荒浜南西谷地)
(上)2011年3月19日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月18日(撮影:一般社団法人ReRoots)
荒浜交差点の目印だったガソリンスタンド。
変わらないのは右下に見える縁石だけ。
■深沼橋から(荒浜中丁)
(上)2009年8月15日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月14日(撮影:一般社団法人ReRoots)
貞山堀を北に望む。
震災前は、両岸にも人びとの暮らしがあり、豊かな緑があった。
■貞山堀(荒浜南丁)
(上)2009年8月15日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月14日(撮影:一般社団法人ReRoots)
深沼橋から南丁地区を望む。
震災前は川岸に住宅や店舗が立ち並ぶエリアだった。
■深沼海水浴場入口(荒浜中丁)
(上)2011年4月18日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月14日(撮影:一般社団法人ReRoots)
深沼海水浴場入口から仙台の市街地方面を望む。
震災直後の写真では、既に解体された荒浜小体育館が見える。
■深沼海水浴場入口(荒浜中丁)
(上)2009年8月15日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月14日(撮影:一般社団法人ReRoots)
バスをおりると迎えてくれた松林は、深沼海水浴場の象徴でもあった。
■塩釜亘理線とのT字路(二木新原)
(上)2011年4月9日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月10日(撮影:一般社団法人ReRoots)
県道54号線から海側を望む。
信号機は再建されたが、海岸の松の減少と、雑草の繁茂が著しい。
■県道沿いの自動車整備会社(藤塚三十刈)
(上)2011年3月26日(出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト)
(下)2013年9月10日(撮影:一般社団法人ReRoots)
津波被害の痕跡を残したまま使用されている社屋。
傾いだ建屋を垂直に戻し、車庫として使用しているようだった。