名取川の左岸、閖上の北側に位置する70軒ほどの家が密集していた藤塚(ふじづか)という古い集落には、五柱(ごちゅう)神社という神社があります。
この神社は平安時代の康平3年(西暦1060年)に源頼義父子が常陸に勧進した神社が、後にこの地に移ってきたという由緒がある一方で、「五柱の神が藤の筏に載って流れ着いた」という伝承も伝えます。そしてこの筏の藤を埋めて塚を築いたところ、芽を出して根付いたためこの一帯を「藤塚」と呼ぶようになったといいます。かつて境内にはその藤の切り株もあったと伝わっています。
東日本大震災では集落とともに、鳥居や社殿も流されてしまいました。
五柱神社の参道です。鳥居と社殿は流出。社殿背後の松の木だけが残りました。
狛犬は、後に以前あった場所の近くに戻されたもののようです。
本殿跡。小さな社が建てられていました。手前の小さな拝殿のあたりには、かつての五柱神社の写真が置かれています。
奉献の碑。流されてぼろぼろになりましたが砕けはせず、神社の近くまで戻されていました。
参道脇には流された石碑や石灯篭の一部などが集められていました。
(写真はすべて 2013年8月9日 宮城県仙台市若林区藤塚屋敷51 にて撮影)
【参考リンク先】
>Re:プロジェクト 第2号 <藤塚>
PDFデータ
【参考文献】
仙台市史編さん委員会編『仙台市史 特別編9 地域誌』2014年、仙台市
飯沼勇義著『仙台平野の歴史津波 巨大津波が仙台平野を襲う!』1995年、宝文堂