この記事は、「3月12日はじまりのごはん」の展示期間中に来場者が貼ったふせんやパネルの様子を紹介するものです。展示された各パネルの概要は[いんでっくす]ページをご覧ください。
▼「3月12日はじまりのごはん」とは
▼ふせんのコメントについて
[2014年秋]展示パネル
※英語で書かれたふせんは、矢印の先にある日本語のふせんを英訳したものです。
[パネルに寄せられた来場者のコメント]
写真の内容や場所に直接関係のないコメントもあります。
▷震災から数日後、ドラッグストアで、震災前に仕入れていたとみられる牛乳を買って飲んでみました。その後しばらくは牛乳を手に入らなくなりました。
▷近所の牧場から捨てるしかないから!!としぼりたての牛乳をもらいのみました。まさかここでしぼりたてをのめるとはと、暗闇で。
▷弟と二人でコンビニに3時間くらい並びました。”お一人様10点まで”と決められていました。
▷震災の時、私は免許合宿で山形にいました。山形は震災の被害はなかったものの、スーパーからは物が消えていました。何となく、震災の影響を、そこに感じました。おそろしいことだと思う。
▷仕事帰りに生協寄ったら大量に牛乳が! …と思ったらヨーグルトだったw
▷納豆、卵、牛乳、…並んでも、手に入るのか、心配しながら、並んでいました。
▷ダイエーに並ぶ人の列が、三越あたりまでのびていたのを、よく覚えています。本当に食料難でした…
▷牛乳を九州からamazonでとりよせてみんなに配ったヨーグルトも手作りしたよ〜 (す)
▷牛乳、飲みたかったなぁ…
Milk… I wanted to drink it…
▷見たことのないメーカーのパッケージの商品がいろいろあった。
▷↑仙台じゃふだん買えない地域の商品があっておもしろかった。でもあげかまぼこのまずさにゲンナリ… 宮城ってかまぼこおいしいんだなーって思ったよ
▷コーンフレークに水をかけて食べてるという同僚に、とっておきの期限切れ牛乳をわけてやりました!
▷3/11 昼に買って職場の冷蔵庫に入れたまま5日近くたった牛乳、牛乳ないと生きていけないと言っていた同僚にあげました。(危ないと思ったら飲まないように言って)
▷家の近くが通行止めで、人の行き来が少なくなり、近くのコンビニではたくさん食料が手に入りました。
▷いつもはそんなにのまないのに、牛乳が手に入り、ひさしぶりにのんだときにしあわせだった。
▷見知らぬ言語(たぶんアラビア語かな?)で書かれたヤギのmilkを配給でもらいました。牛乳のかわりです。
ふせんのコメントについて
この展示には、仙台市内はもとより、沿岸部・内陸部、宮城県内外、国内・海外を問わず、大人から子どもまで、さまざまな立場の方々が来場され、展示された震災時の写真から想起したことを、ふせんに書いてくださいました。ここでは、その寄せられたコメントの原文を、そのまま掲載しています。なお、灰色の英文は日本語のコメントを翻訳したものです。
[基になった写真]
「牛乳の購入は1人1本限定」*
2011年4月7日 宮城県仙台市宮城野区
記録:佐藤正実さん
*出典:写真集「3.11キヲクのキロク—市民が撮った3.11大震災 記憶の記録—」
発行・提供:NPO法人20世紀アーカイブ仙台
「3月12日はじまりのごはん」とは
炊き出し、買い物、食卓の風景など、震災時の「ごはん」にまつわる写真を展示し、それらの写真を見て思い出したことや当時の暮らしぶりなどを、来場者に自由にふせん紙に書いてもらう参加型展示です。この展示は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台と3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)が協働で企画しました。
展示された各パネルの概要や利活用事例等は[いんでっくす]ページをご覧ください。