津波の教訓や慰霊のための石碑は、沿岸部のあちこちに点在しています。
女川町で震災後に確認された昭和三陸地震津波の8基の石碑には共通の文言が記されているようです。
宮城県牡鹿郡女川町高白浜高白14
女川町の中心部から車で約15分。牡鹿半島の女川湾に面した高白漁港に建つこの石碑もそのひとつです。「昭和八年三月三日 大震嘯災記念」と題されたこの石碑には、中央に大きく
「大地震の後には津浪が来る
地震があつたら津浪の用心」
と記されています。裏面には昭和天皇・皇后から現在の義捐金に当たる救恤金(きゅうじゅつきん)があったことも記録されているようです。
2011年4月下旬に訪れた時には、石碑のある漁港全体に津波の爪痕が残っていました。
石碑のほど近くに残っていた木の枝には、漁具が引っ掛かっていました。
漁港近くの小高い場所にあった二渡(にわたり)神社の社殿は、元の場所から流され、集落から山へと向かう坂の途中へ押し上げられてしまったようです。
港には船が係留されていました。
桜はそれでも咲いていました。
【参考リンク先】
国土交通省 東北地方整備局 道路部「津波被害・津波石碑情報アーカイブ」http://www.thr.mlit.go.jp/road/sekihijouhou/index.html