2017年3月末に避難指示が解除された福島県浪江町では、その後家々が解体され、それまで止まっていた町が姿をかえることとなりました。この記録は、町を形づくっていたさまざまな要素が取り除かれることで、新たに現れた光景、そして時間の経過とともに消えていった景観について、髙橋親夫さんが記録したものです。
(以下、記録と文:髙橋親夫)
外壁を構成している生活者の工夫と時間に魅了されていた。
プライベートな空間に蓄積されていた、ここに暮らしていた人たちの物語。
民家の裏側の外壁材は入手しやすく扱いやすい波トタンと波板樹脂板。裏側には暮らしを支える道具がある。
裏側の外壁を水道管や配水管、ガス管、電気配管が自在に走り回る。生活を支えるインフラ設備は、裏側の役目だ。
今は使用されない下見板張り、その上の土壁、屋根のトタンも今では懐かしい。
これらの住まいに使用されている外壁材は、この家の人たちの暮らしを長年にわたり確かに守ってきた。
これほど長く使われてきた家屋は、ここで暮していた家族に愛され、大事にされてきた証のように思える。役目を果たし、天寿を全うした姿に見える。
髙橋親夫「現れた光景・消えた景観」
町はさまざまな要素が集まり、形づくられている。それによってそれぞれが一つの景観となり、特定の場所として人々に記憶されている。
それらの要素が取り除かれ、遮るものが無くなった時、住む人さえも知らない光景が出現する。狭い路地からしか見る事のできなかった場所は、光射す全景として眺めることが出来るようになり、農家の屋敷の中に佇んでいた住まいや小屋は、藪や屋敷林が除かれて露わになる。そしてそれの引き換えとして、人の視線にさらされることなく消滅していった、もう一つの相対する景観があったはずだ。
眼の前にある光景はこれまで存在していたが、眼にすることが出来なかった知らない姿だ。人の眼に触れなかっただけに、外からの視線が意識されていない、時間が蓄積されたもう一つの姿でもある。記憶にない知らない町の姿が突然現れ、やがて時間の経過と共に様々な形で消えてゆく。