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参佰拾壱歩の道奥経(サンビャクジュウイチホノミチノクキョウ)

あの日から4年半が経った2015年9月、故郷である仙台市若林区が津波による甚大な被害に見舞われるも、諸般の事情から足を運ぶことができなかった宙崎抽太郎(チュウザキチュウタロウ)さんは、ようやく自身の足でその地を歩くことになりました。現実感のないできごとを身体に落とし込むように、ただ歩きながらビデオカメラをまわしました。

さらにそこから5年が経った2020年、改めてその時の映像を見直したとき、ただ歩いていたのは、自分なりにその土地との関わり方を探ろうとしていたコミュニケーションのような行為であったと思い至ります。そして、当事者とも非当事者とも言えない微妙な距離感のなか、その関われなさや語れなさを乗り越える術として、「脱臼語としての自作経」をつくりだします。語の意味から脱臼した、あえて言葉にならない言葉を、自分の足で歩いて撮った映像にのせていきました。

この記事では、宙崎さんが辿った仙台・荒浜、名取・閖上、石巻、気仙沼、陸前高田の5本の映像、そして実際に東北の地を歩き、自作経を生み出すに至った想いを紹介します。

(以下、記録・文:宙崎抽太郎)

「参佰拾壱歩の道奥経」における「自作経≒脱臼語」縁起

<ただ歩くしかない土地>
故郷・仙台が311に見舞われつつ、現地入りしたのが4年半後の2015年9月だった。残されていたのは【更地】。ボランティアをするわけでもなく、なすすべもなく、【ただ歩く】しかなかった。その際、311現地を歩き回って撮影した素材となる。

中学、高校の5年、20代後半の5年、仙台市若林区に住んでいたものの、311当日は、東京に住んでおり、会社に大揺れが来たあと、同僚から、仙台空港が水没してるよと、携帯で動画を見せられた時は、即座に信じられず、思わず、目が点になってしまうほど、現実感を持てず、感覚が麻痺し、帰宅難民となり、5時間かけ歩いて帰ったが、仙台の両親の安否確認がすぐに出来たことと、自分の家庭・仕事などが抽象的な津波にすでに呑まれ、手の離せない状況であったため、311現地に到着するまで【4年半のタイムラグ】が発生してしまった。

4年半遅れの、2015年9月には、仙台・荒浜、名取・閖上、石巻、陸前高田、気仙沼、大船渡を歩いた。その昔、1999年から2001年くらいの2年ほど、電車関係の仕事で、東北一円、福島、宮城、岩手、青森の沿岸部河口付近など、鉄道橋梁の河川の増水を知らせる【計器≒センサー】の点検作業をしており、およそ、108河川を回っていたのと、福島二本松にも仕事で出入りしていたため、311で被害を受けた地域へは、ほぼ、万遍なく通っていた。語弊はあるが、あまり目立たなかった地域が、未曽有の災害で、連日ニュースになり、ド肝を抜かれてしまった。また、大津波映像が大津波を起こしていた。連日、深刻なテレビ映像を浴び続けた同僚の女性などは、心のバランスを崩し始め、不眠を訴えており、テレビを消したほうがいいと、アドバイスしたところ、安眠できるようになった、というくらい、スマホ動画によるYouTubeなどの精神的大津波が、わかりにくい形で、人々に浸透していた。阪神大震災との大きな違いは、動画撮影能力の高いスマホが、一般市民に普及し、災害がリアルタイムに実況中継され、映像量、情報量自体の流通も莫大だったことだろう。映像による精神的大津波か。だから、逆に、遅くなっても、自分は、自分の肉体を介して歩いておきたかった。莫大甚大な大津波映像からの解毒作用として、自分の目と足を使って実際の土地を歩きたかったのである。社会的な意味などよりも、自分として、肉体を介した【現実≒土地】に、たとえ、大遅刻であっても触れておきたかった。【身体的羅針盤≒センサー】を基準値に戻す必要があった。



<言葉にならない言葉>
2015年9月までは、両親、友人からの話を聞き、あとは、テレビ、新聞、映画、小説などの伝聞情報に触れるだけで、現実に触れているとは一切言えず、中途半端なエアポケットに居続けていた。つまり、立ち位置自体が脱臼している。なので、その時も、やはり、今更、現地を歩いても、311は、間接的な経験であり、散歩以上のものではないのではないのか、311の出来事のカケラを拾おうとするなど冒涜である、という気後れも迷いもあった。なので、なすすべもなく、【ただ歩く≒ただ在る】しかなかった。

だが、2020年の今思うと、その【ただ歩く】は、【ただひたすら歩く修行】というか、土地自体の透明な層に対してのコミュニケーションに近く、【只管打歩(しかんたほ)】であった。只管打坐から応用して作成した【自分語】であるが、関わり方が分からない場合の関わり方は、【自分なり】を突き詰めることにあるのではないか、と思いつつ、喉というか、胸というか、息を吸うところの根元に、ヘドロのような変な【突っかかり】を感じていて、微弱でもいいから、アウトプットしたいなあ、という気持ちと、出来事の震源地からの中途半端な距離感から、当事者とも言えず、しかし、非当事者とも言えず、その狭間の中間地帯に無責任に浮いており、中有に迷うというか、自分事として語るにはおこがましい、ゴメンナサイとゴメンナサイジャナイの間にある抽象的な溝に落ちる、意味のあることを語る資格はないが、無意味というよりも、脱意味な、脱語なら、私も、風の唸りのように音声を発しても、見て見ぬ振りをしてもらえるのではないか、ということで、【脱臼語としての自作経】を入れ込む形で、ガシャガシャな歩行映像をまとめてみた。私に許されるのは、実際に、自分の足で、歩いて撮った映像素材と、日本語を脱臼する領域の【言葉にならない言葉】なのかな、という、暫定的な結論に至っている感じではある。だが、改めて見て、さらに、その世界のひび割れが、私の心に刺さる。

2020年、コロナ禍、東京都の緊急事態宣言も明け、それでも、まだまだ、予断を許さぬ8月夏真っ盛り、できることといえば、マスクをつけること、うがい手洗い、検温など、人間にできることは、地味だが、地味に行くしかない。そして、2015年9月の、311の歩行録を、思い返して、見返して、地味でも、生きてるうちに、感じたことを外に出していくこと、できる範囲でやれることをやることは、人類として大切なんじゃないか、と思い至り、【脱臼語としての自作経】という、無理やり感は否めないが、自分なりの最大限誠実な筈の表現に行き着いたので、仙台・荒浜に続き、名取・閖上、石巻、陸前高田、気仙沼、大船渡も作って行きたい。というより、作り切ってしまいたい。そう思った。自分なりの奉納であり、祀りである。

2020年8月17日 宙崎抽太郎



参佰拾壱歩の道奥経 2/名取・閖上

参佰拾壱歩の道奥経 3/石巻

参佰拾壱歩の道奥経 4/気仙沼

参佰拾壱歩の道奥経 5/陸前高田

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