東日本大震災当時、山形県で中学校の教員をしていた東海林恵史(とうかいりん・けいし)さんは、震災後、岩手・宮城・福島の沿岸部に足を運び続け、被災地域に残された痕跡やメッセージを見つけては写真におさめてきました。
震災から10年が経った2021年、東海林さんは、誰かに何かを伝えようとした痕跡などの記録を「伝声管」というタイトルの冊子にまとめました。この記事では、その冊子におさめられた記録の一部を地域ごとに紹介します。
※写真は時系列に並んでいます。
(以下、記録・文:東海林恵史)
福島県
2012年12月9日 相馬漁港
2012年12月9日 相馬市磯部地区
2013年6月18日 浪江町 請戸小学校
2014年3月2日 浪江町 使用中止の紙が貼られたポスト
放射線量の数字が記入されていた。
2014年3月2日 浪江町 請戸小学校 給食室
2014年3月2日 浪江町 請戸小学校
2014年3月2日 浪江町 請戸小学校
2014年3月2日 浪江町 請戸小学校
2014年4月13日 富岡町夜ノ森地区
2015年10月10日 双葉町 遊漁自粛の立て看板
2016年6月4日 富岡町 福島第二原子力発電所へ行く道
イノシシの親子が道路を横切った。この先に警察の検問所があり、通行止めだった。
2017年2月26日 浪江町 原発から14キロ地点にある牧場
2017年2月26日 浪江町 原発から14キロ地点にある牧場
2017年2月26日 浪江町 請戸小学校
2018年4月8日 富岡町夜ノ森地区 相変わらず放射線量が高く、ここから先に進めない。
2018年4月8日 富岡第二中学校は原子力災害時避難・集合場所
これに該当する日が来ようと誰が想像したか。
山形にて 東日本大震災当日から4月上旬までの記録