震災後、福島県浪江町や双葉町に通い続けてきた髙橋親夫さんは、人がいなくなったまちの風景の変化とともに、今なお残る子どもたちの暮らしの痕跡を写真に収めてきました。
(以下、記録:髙橋親夫)
2020年3月7日 双葉町 まどか保育園
2020年3月7日 双葉町 まどか保育園
2021年5月31日 双葉町 まどか保育園
2021年5月31日 双葉町 まどか保育園
2020年9月27日 双葉町児童館
2020年10月21日 双葉町児童館
2021年3月6日 双葉町立双葉南小学校
2021年3月6日 双葉町立双葉南小学校
2021年2月7日 双葉町立双葉北小学校
2021年2月7日 双葉町立双葉北小学校 バス停
2021年2月7日 双葉町立双葉北小学校バス停
2021年5月31日 双葉町立双葉北小学校
2021年5月31日 双葉町立双葉北小学校
髙橋親夫「ここにいた時は子どもだった」
家族との幸せの中にあったその時の子どもたちの暮らしをそのまま残し、
あの時を境に、二度と戻ることのないものとしてつながりは断ち切られ、
ここから未来へと離されていった。
新しい土地での時間の中で、家族と共にその地でのつながりを育み、重ねられ、
おとなへと成長してきた。
今日もそれぞれの場所で未来への社会生活をおくっている。
あのことがなければここでの暮らしは継続し、
成長にともなう変化の波に日々に身を委ね、過ごしていっただろう。
あのことがなければこれらのものも、
住んでいた人々の手からはなれ放置されることはなかった。
そしてこれほど長い時間、歳月に曝されることなく、
当たり前のかたちで役わりを交代していたはずだ。
あのことが起きる前の楽しかった時の背景や、
その時の心の記録が今ここに残されている。
みんなで過ごしたここでの記憶は、
この子らのそれ以後の生きる原点になり、
時は日々積み重ねられているのだろうと、
ここにいた子どもたちに思いを馳せた。