【わすれン!ストーリーズ】 震災当日は、自宅の作業場で牡蠣の養殖の準備作業をしていました。自宅の標高が約12m と認識していたので、一時避難場所として自宅の裏山を選択しました。 震災後は仙台の建築現場で足場工として働きました。 建築に携わることで復興に向かう意識が高まったと思います。 【関連記事】 南三陸町歌津字寄木 津波到来2日前とその後 海と津波のはなし 高橋七男さん