木町通小学校に隣接している木町通交番。取材に応じてくれた警察官の方は、地震発生時にはご自宅にいたそうですが、すぐに仙台北警察署に行き、任務分担を割り振られ、信号機の故障状況や道路状況の確認、パトロールなどを行ったそうです。そして、交番の人員を2つに分け、24時間ごとに交代しながら仕事を行いました。
通常の勤務に戻るまで、そのような生活が2〜3カ月ほど続いたそうです。
震災時には、人と連絡が取れなくなって困った方が交番を訪れたり、沿岸部へ向けて移動中の方がルートを尋ねてくることもありました。
警察では、現在も石巻地区などで、行方不明者の捜索活動を続けています。
制作:
仙台市立木町通小学校・木町の3.11実行委員会2013
協力:
せんだいメディアテーク・3がつ11にちをわすれないためにセンター
取材日:
2013年8月29日
[取材をした5・6年生がまとめたこと]
記録した小学生自身が映像の紹介文を考えるために、
ピラミッドチャートを使って、「分かったこと」(事実)を書き出し、
そこから「考え・感じたこと」を整理し、最終的に「伝えたいこと」にまとめました。
ここではその一部を紹介します。
■分かったこと
・家に帰ってた人も、もどって仕事をした。
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・交番のおまわりさんを2チームに分けて、20時間ずつこうたいでやっていた。
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・仕事はいつもとあまり変わらなかった
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・ふつうのきんむにもどるには3カ月かかった。
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・今も、ビルのてんけんを(こわれているところはないかなど)している
■考え・感じたこと
・1日20時間も働いてしんさいの時、私たちの生活を安全にしていてくださったと思います。
・家族と連らくとれない人が私たちにみじかにいることをはじめて知りました。おまわりさんは私たちが知らない事実をいっぱい知っていると思いました。
・通常より多く働いているのは、わたしたちの事を考えているからだと思う。
・通常勤務にもどる3カ月は、たくさんの苦労や努力があったと思う。
■伝えたいこと
・交番の人たちの努力があったから、私たちが安全に暮らせたと言うことがわかりました。
・おまわりさんは次しんさいがきたときは、あわてず、人のめいわくにならないようにすると言っていました。次しんさいがきたときは、そういうふうにし、そういうふうにすれば、死んでしまう人などもすくなかったと思います。
・今の安心した生活は、交番で働く人だけではなく、たくさんの人の苦労や努力があったからあるということ。
[映像を観た3年生の感想]
・地しんが、あった時に、みんなが安心できるように、パトロールをしてくれた交番の人などが、仕事をしていた事が分かりました。
▷木町の3・11とは
仙台市立木町通小学校では、せんだいメディアテークと連携し、2008年から映像制作を授業に取り入れています。この「木町の3.11」は、木町通小学校の子どもたちが、震災当時の様子や、それぞれの想いをテーマに地域の人びとへインタビューを行い、デジタルカメラの動画機能で記録したものです。
この活動やその他の映像については、 [いんでっくす]ページもご覧ください。
この映像は、わすれン!DVD Vol.40『木町の3.11 —ふるさとへの想い—』として、せんだいメディアテーク 2階 映像音響ライブラリー/視聴覚教材ライブラリーにて、貸出・視聴サービスをご利用になれます。
DVDの貸出状況のご確認には、仙台市図書館ウェブサイトの資料検索をご利用ください。