宮城県南三陸町歌津寄木、丸七水産の高橋七男さん。1階が工場、2階が住居となっていた高橋さん宅は、この度の津波で大きな被害を受けました。
七男さんの息子さんである栄樹さんが撮影した、東日本大震災の2日前、当日、11日後、2・3ヶ月後の写真の記録です。
2011年3月9日 12時10分
11時45分、震度5弱の地震が発生!潮位の変動があり、携帯を手に海を撮影。
2011年3月9日 12時16分
海面が少しずつ下がり始める。
2011年3月9日 12時19分
1メートル前後の津波が発生していました。
2011年3月9日 12時22分
「潮位の変動は見られない。」と一部で報道されていたのに家族全員が驚いた。
2011年3月9日 12時34分
今回の津波で一番の引き波が発生する。
2011年3月9日 12時38分
その後の海面上昇。
数時間変動が続いた。
2011年3月11日 15時05分
14時46分、地震発生。直後、従業員を帰宅させ、岸壁にあったら船を係留場所へ移動。
その時すでに引き波が始まっていた。3月9日の津波の引きと同じくらいと感じ携帯で海を撮影。
2011年3月11日 15時18分
押し波が発生しどんどん水位が上昇してくる。
2011年3月11日 15時19分
防波堤の上面いっぱいまで水位が上昇。
2011年3月11日 15時20分
船はアンカー(コンクリートブロック2〜6トン)に係留しているため船首が沈み込む。
2011年3月11日 15時25分
防波堤を越えてからは津波の動きが速くなり周囲をあっと言う間に飲み込んで行く。
(海抜12メートル位の所から撮影)
2011年3月11日 15時26分
海抜12メートルの所に置いてあった車が流れ始める。この時、津波の第一波が止まるが、引き波がなく、
第二波がこの後すぐに押し寄せる…さらに高台へ避難を始める。
2011年3月11日 17時11分
雪の中、近所の人達と高台へ避難した所で撮影。(海抜25メートルの所から撮影)
2011年3月11日 17時11分
湾の中の水がすべて無くなり海底が見える状態に…。
湾の中の島の沖にある根(水深5~12メートルにある岩場)も見える。
2011年3月25日 07時56分
津波到来から11日後。携帯のバッテリーが回復後、家があった所を撮影。
2011年3月25日 07時57分
鉄骨造やコンクリート造の所を残してすべて流失。
2011年3月25日 07時57分
家の前の道路(地区の道路)を地区民みんなで片付けを行って町まで車で行けるようになった。
2011年3月25日 07時58分
全体を見ると、家にあった物が広範囲に散乱。
2011年3月29日 11時21分
フォークリフトは津波を受けても流れなかった。
2011年3月29日 13時18分
自前で仮設住宅を建てたく中古のプレハブを見に行った。
2011年3月29日 13時18分
室内は建設会社の仮設事務所のため広い。
2011年3月29日 13時19分
プレハブを移動した後、各所手を加える必要があった。
2011年5月8日 12時13分
5月になり、周囲が新緑に染まり、片付けも少しずつ進んでいる。
2011年5月8日 12時14分
3月11日に津波を撮影していた所に自前の仮設住宅を建てた。
2011年5月8日 12時16分
近所の家々も片付けが始まってだいぶきれいになった。
2011年5月8日 14時04分
建設中の仮設住宅の前で今後を話し合う地区住民。
011年5月8日 14時11分
内装工事中、資材が近所では手に入らないため、仙台へトラックで資材を買いに何度も走った。