ごうけいほうもんしゃすう

「セクマイ被災者」と呼ばれて

記録者:namihei

30代 FtXトランスジェンダー
宮城県多賀城市在住
パートナーと同居。
震災前はセクマイコミュニティとは一切関わらず、一般社会ともなるべく距離を置いて生活。
クローゼットで、セクマイ当事者の方々とはインターネットで交流。

▽この手記の用語解説について

2011年3月11日。

あの日から、さまざまな場所に行き、さまざまな人と会い、さまざまなことをしてきた。
スコップを持ち泥をかき、海水に浸かった家具を運び出し、物資を集め配布し、写真を撮り情報発信をし、避けてきたセクマイコミュニティに参加し、今日はこの原稿を書いている。
あの日より前の、自宅に引きこもってばかりいた自分に話してもきっと信じないだろう。

あの日は……とにかく大きく長く揺れた。
自宅はすぐ停電になり、仕事中のパソコンもプリンターも床に落ちてしまった。
一番最初にしたのは自宅の中の「セクマイ系の本を隠す」こと。
宮城県は地震が多い地域なので、比較的大きな地震でもそんなに驚かないが、さすがに2分以上も揺れ続けたらタダじゃ済まないと分かった。
「この部屋に誰か来るかもしれない。もうプライバシーはない。自分のことは後回しになる。きっと世の中が大変なことになってる」と瞬時に思って、余震が続く中、セクマイ系の本を封筒に入れてテープで封をし、棚の中に隠した。
なぜ「この部屋に誰か来るかもしれない」と思ったのかは分からないが、実際に他人を部屋に入れることになったのだから不思議。
パートナーの家族(大人2人・小学生2人)を避難所に迎えに行き、共同生活が始まった。

 

被災地に住んでいる被災者。そしてセクマイ。

実際には津波で家が流されたわけでもなく、家族親戚を亡くしたわけでもなく、セクマイと言ってもクローゼットで何か支援を必要としているわけでもなく……。
しばらくは水が出なくて食料調達もままならず不便な生活が続いたものの、「被災者」ではなかったし、「セクマイ」でもなかったように思う。もちろん「被災地のセクマイ」でもなかった。
自衛隊が設置したお風呂に入らなかったし、公衆浴場にも行かなかったが、常時でも温泉の大浴場には入らないし、銭湯にも行かない。
ボランティアの申し込みの際に性別記入欄があったり、支援現場でことあるごとに男女で分けられたが、非常時だからではなく常時からのシステムだし、そんなのは非常時真っ最中にどうこうすべき問題じゃないと思ったし、何より自分にそんな心の余裕はなかった。
まずは「目の前のグチャグチャになってしまった町をどうにかしないといけない」という思いでいっぱいだった。50kmほど離れた沿岸部の地元は被害が大きく、「今住んでいる町が片付いたら地元の片付けが待ってる。片付けたら何もなくなってしまうのか……」などなどなど、果てしなくも思えるこれからのことで頭がいっぱいになってしまい、とりあえず自分のセクシュアリティは忘れることにした。

 

忘れると決めたものの。

社会と関わりを持てば不満や不都合がどんどん出てくるわけで、気が付けばインターネットに不平不満ばかり書き込むようになってしまっていた。
「セクマイ被災者ではない」と言っても、新聞社の取材を受けたり、大勢の前で話をしてほしいと依頼されたり、「セクマイ被災者ではない」なんて周囲が許さなかった。
面識のあるセクマイ当事者もいなくて、セクシュアリティに関する知識もまったくなかったので、どうすればいいのか分からず、どれも上手く対応できなかったのが情けない。
自分を表現する言葉も知らなくて、何に違和感を感じていて、社会制度の何に生きづらさを感じているのかも整理できておらず、それらを頭の中で整理する言葉も持っていなかった。
新聞に「性同一性障害の女性」と記載された事があって、「そうじゃないんだよなぁ……」と思っても、それをどう相手に伝えたらよいか分からず、結局そのままにしてしまった。
本当なら「性同一性障害のNさん」とかにして欲しかった。

自分を守れずに悔しくて悲しくて、それからセクマイのことを勉強しながら、セクマイコミュニティに積極的に関わるようになり、他のコミュニティにも「セクマイ」として参加してみたりもしている。
インターネットで検索してみると、セクシュアリティに関する聞いたことのない言葉がたくさんある事に驚いた。検索しまくって言葉を知り意味を知り、やっと自分の考えを整理できるようになってきた。

 

知識が増え、考える事ができるようになって思うのは。

自分が「そうじゃない」と言っても、あの日から、自分は「被災地のセクマイ」だった。
人との繋がりも知識もない、孤独で無知な「被災地のセクマイ」だった。

どこにも繋がりがないというのは、命綱がないということ。
人との繋がりを求めていなかった自分は、もっと大きな被害を受けていた場合、どこに助けを求めていただろうか。今回はインターネットで繋がってくれていた方々が手を差し伸べてくれたけど、それは細い1本の命綱だった。偶然被害が少なかったからその1本で事足りただけ。
知識がないというのは、自分を、大切な人を守れないということ。
友達を作って仲良くしろというわけではなく、とにかくどこかと繋がっていてほしい。自分を、大切な人を守れる知識を身につけてほしい。
今の自分に必要がない情報でも、いつか誰かの役に立つかもしれない。
いつか自分の役に立つかもしれない。
命綱って、何かがあってから探すものではないし、命綱の両端のどちらが助け、どちらが助けられる側になるのか分からない。その時が来たらお互いに掴めばいいだけ。

できるだけ多くの命綱を探しながら、非常時にはただ眺めていることしかできなかった生きづらさをどうにかしてやろうと、「セクマイ」としてあちこちに出掛け、今日はこの原稿を書いている。
「被災者」ではないけど、「被災地のセクマイ」として自分にできることはなんだろう。
またどこかで災害が起きた時、どれだけの命綱を握り返せるだろうか。
あの日、偶然が重なって自分は生かされた。
今日は誰かが生きたかった明日かもしれない。
これからも生きなくちゃけないし、もっと生きたい。でもこのまま社会で生きていくのはちょっとしんどい。
ひっそりとコミュニティづくりとセクマイの啓発活動、始めました。
いつか皆さんと繋がれますように!

 

最後に。

全国のセクマイ当事者の方々に、とても多くのご支援を頂きました。もちろん非当事者の方々にも。
物資を送って頂いたり、情報発信を支えて頂いたり、実際に宮城に会いに来てくれた方もいらっしゃいました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました!
皆さんに会いに行くという、今後の人生の目標が出来ました。
少しでも楽しい事が増えますように!

2013年10月寄稿


3月11日の日記

「2011.3.11」
普段は書かない日記。気持ちを落ち着かせるために書き始めた。前日と当日の日記。今見ると、何を書いてるのか自分でもよくわからない。


3月15日の多賀城市

「2011.3.15」
宮城県多賀城市。やっと水が引いた。まだあちこちの流された車体の中にはご遺体が残っていた頃。恐ろしくて本当は出歩きたくなかったが、空き巣が頻発していると聞いたので、知り合いのアパートに布団と食糧を取りに行った。このあとしばらく写真が撮れなくなった。


生活用水を確保するためシートを広げる

「2011.3.16」
生活用水が足りなくて、水を確保しなくてはと同居人がノイローゼ気味になっていた。シーツくらいの大きさの梱包材「プチプチ」シートを広げて、雨水を貯めようとしたら雪が降った。白いのが雪。1滴もたまらず、この雪を融かして使う。トイレ2回分ぐらいになった。


被災地に届けたハエ取り線香

「2011.07.26」
宮城県石巻市。高校生主催の『被災者が被災者に物資届けるよ!プロジェクト』に参加。多くの皆さんに支援して頂いた。夏場を迎え、片付けていない場所やガレキの山からハエが大量発生し深刻化していたので、全国から「ハエとり線香」を集め、希望者に届けた。

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■用語について


レインボーアーカイブ東北の「手記」には、耳慣れないセクシュアリティに関する用語がたくさん出てきます。下記のページにて、それぞれのおおまかな意味合いを解説していますので、ご覧ください。

 

レインボーアーカイブ東北による用語解説

さらに詳しい情報については、「性と人権ネットワーク ESTO」ウェブサイトをはじめとするセクシュアリティ関連サイトや書籍などをご参照ください。

■レインボーアーカイブ東北について
レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーなど、多様な性の当事者たちの生の声を集積・記録・発信する団体です。
可視化されていない地方の当事者の存在を広くアピールすることで、違いを認めあい尊重しあう、より生きやすい社会をめざします。
宮城県仙台市を拠点に活動している4団体「東北HIVコミュニケーションズ」「やろっこ」「Anego」「♀×♀お茶っこ飲み会・仙台」が中心となって2013年6月に設立されました。

連絡先:ochakkonomi@gmail.com (♀×♀お茶っこ飲み会・仙台)

※レインボー(虹)は多様な性のあり方の象徴として世界各地で用いられています。

 

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