ごうけいほうもんしゃすう

震災から得た新しい視野

記録者:イル

生粋の宮城県人 仙台市内陸部在住
レズビアン寄りのバイ/リバ寄りのネコ/中性寄りの女性
全てちゅうぶらりんだが自分のマイノリティを楽しんでいる。
特技の声楽を活かして音楽活動をしながら、社会にマイノリティをアピールすることを考えている。

▽この手記の用語解説について

お読みいただく前に。

私は被災したものの、とても恵まれた被災者だ。逆に、同性の恋人は大変な経験をしているため、私が手記を執筆することには迷いもあったが、どんなに辛いことでも視点を変えれば気持ちも変わる。
私の名前に「幸」が入るが「辛」と1画しか変わらず、この2つは表裏一体なのだと思う。
だから、私なりに私の体験を面白おかしく綴ろうと考えた次第である。

 

3.11のその日。家族と温泉で入浴中だった。

「あや~……あやあや!」

仙台・東北の方ならお分かり頂けるであろう、この方言。「あや」という名前の女の子を呼んでいるのではない。ラジオが壊れたのでもない。我が家の天然ばっぱ(祖母)が言い放った、地震で揺れているその時のセリフである。

3.11のその日は、仕事が休みだった私は母と祖母、祖父を連れて県内陸部の日帰り温泉に来ていた。
体を洗い、少し温まって一番の楽しみの寝湯コーナーへ。ばっぱと素っ裸で横になり、隣の若いお母さんが連れていた赤ちゃんを嬉々として眺めていた時に、揺れは襲って来た。
「あや~……あやあや! 長いごだ~揺れるなぁ」
ばっぱは悠長に呟いていたが、隣のお母さんはさっさと赤ちゃんを連れて逃げ、私は寝湯コーナーの屋根が崩れてきてもいいようにばっぱに覆い被さっていた。揺れが何分続いたかは分からないが、私には5分くらいに感じられた。

幸い、屋根が崩れることはなかったが、まだ揺れが収まらないうちに温泉のスタッフのおばちゃんが助けに来て下さった。
「早く着替えて逃げてください」
自分の身も危ないのに、他人のことを考えられるこのスタッフはアンパンマンのようだなぁと思った。
腰が抜けたのか、ばっぱは思うように立てなくなっていて、アンパンマンの手を借りて脱衣所まで行くと、髪が濡れたままショーツとババシャツまで着て中途半端な格好となった母が慌てながら迎えに来ていた。その時の母の目は、漫画ならうずまき等で表現されている感じで、ぐるぐると動揺していた。

どうやってロッカーを開け、着替えたのかなんて覚えていない。休憩所の天井が崩れており、他の客が携帯で撮影していたので「これは記念に撮るべきなのであろう」と思い、つられて撮影した。
先に行ったはずのばっぱが、「じっち(祖父)居ねぇ」とおぼつかない足取りで戻って来た。揺れはさすがに収まっていたが、天井も崩れていたし、先に外に出るように言ってじっちを探しに男湯へ向かった。
タイミング良く男性スタッフが男湯へ向かうところだったので、じっちの名前を呼んでもらうと、脱衣所から元気な返事が聞こえた。ばっぱは忠犬のように建物内でじっちを待っており、気の利く母が出しておいてくれた靴で外へ出た。

外は信号も止まっていて、明らかに異常事態であった。じっちが揺れに酔ったのか吐き気を催している中、一応怪我等がなかったのでじっちとばっぱの長男である、あんちゃんに「じっちとばっぱ無事」とメールを打った。
私はその間に、当時付き合っているのかいないのか微妙な相手から心配のメールを貰って返していたが、それから数日間連絡が取れなくなるのであった。


2011年3月11日14時58分天井が崩落した日帰り温泉の休憩所

2011年3月11日 14時58分
天井が崩落した日帰り温泉の休憩所

 

ライフラインの停止を皆で乗り切ったこと。

ばっぱは最初に書いたように天然ばあさんである。どれくらい重症かと言うと、ホームセンターのキッチン用品コーナーで “豆腐をすくうための道具” を探していて “泡たて器” を指差すくらいである。
天然ではあるが、痴呆ではない。

しかし、そんなばっぱは重要な時には頼りになる女である。私を呼び「水買って来い!」と、水が出ない事に最初に気づいたのはばっぱだったのだ。一番近所のコンビニに行くと、店内は商品が倒れているのに客でいっぱいだった。

2011年3月11日15時38分近所のコンビニ、地震から約1時間後の光景

2011年3月11日15時38分
近所のコンビニ、地震から約1時間後の光景



2011年3月11日15時53分、震災1時間後にコンビニに訪れた時のレシート

2011年3月11日15時53分
震災1時間後にコンビニに訪れた時のレシート、まだ保存している


夜は飼っている鳥もばっぱ宅に連れて来て、じっちが大家をやっているアパートの住人も合わせて11人と共に過ごした。セクマイと言うより、男性恐怖症として困ったのが眠る時である。この11人のうち6人が男性であった。どこを向いても男性が居る状況なんて、クリスマスの光のページェントくらいであろう。しかも、眠るだなんて!
こんな時にセクハラしてくる神経の人間もいないであろうが、私は嫌でたまらなかった。せめて……と思い、一番心が許せる弟を挟んで端っこに眠ったが、眠った気がしなかった。

次の日から食料のために情報を集めたり、水を汲みに並んだり。ライフラインは全て止まっていたが、幸い近所の小学校に定期的に水道局の車が給水にやって来て、ガスコンロもあれば、3日目には「うちはプロパンガスであった」とじっちが思い出してガスも自由に使え、電気もまもなくついた。
それまではろうそくで過ごしていたが、ばっぱの燭台の作り方がとても簡素なのでここで紹介したい。

 □燭台の作り方
 1)大根などの野菜を輪切りにする
 2)つまようじを半分まで刺したろうそくを野菜に刺す
 3)できあがり ろうを垂らすよりも簡単で倒れにくいので、夏の花火の際にでも試していただきたい。

2011年3月11日17時56分ペットの鳥の前に、ばっぱ手作りの燭台でろうそくを灯していた

2011年3月11日17時56分
ペットの鳥の前に、ばっぱ手作りの燭台でろうそくを灯していた

 

被災はしたが、私はとても恵まれていたように思う。お米は土鍋で炊いてふりかけをかけるだけで美味しかった。食べ物や行列(お店の前の行列をたどると役立つものや食品を売っている可能性大)を探してでかけ、その先であんちゃんの好きな焼酎まで買えた。
留守番をしていたじっちの元には魚屋が寿司ネタを格安で売りに来て、じっちは喜んで購入し親戚にも振る舞えた。じっちとばっぱは「サーモン」と言えずに「さもん」と発音していた。
プロパンガスのため、お風呂も水道が回復してからはコンスタントに入れた。

そう、不思議なことも起こっていた。当時役場に勤めていたあんちゃんに、震災当日のうちに「じっちとばっぱ無事」とメールを送っていたが、その返事が来ていなかった。今ごろ役場ではメールどころではないのであろう、と気にしていなかったが、震災から2日後に帰宅したあんちゃんと話すと、“返事はしていないが私からのメールの前にメールをしていたから、私のメールを自分のメールの返事だと思っていた” と言うのだ。つまり、私がじっちとばっぱの安否メールをする前にメールをくれていたと。
「大丈夫か~?」みたいなメールらしかったが、そのメールは未だに届いていない。しかし、私はそのメールを見ないままじっちとばっぱの無事を知らせたため、あんちゃんは安心して職務を全うできたようだった。

 

全てが全て悪いように考えてもいけない。前を向いて自分にできることをしたい。

震災がもたらした被害はたくさんある。一見平和な我が家も、海沿いのお寺に建てていたお墓が流されてしまったし、親戚の家は新築なのに全壊、学生時代の関係者までさかのぼると命を落としてしまった人もいた。

ただ、全てが全て悪いように考えてもいけないと私は思った。震災当日の夜空には津波で亡くなった方々が輝いたのか、普段の仙台では見られないような星空が広がっていた。普段、2連休以上の休みが取れない過労気味の母は職場が水に浸かって1カ月ほど休めた。
何より、私は視野が広がった。自分が生きている今、死んでしまいたくなるような悲しいこともあるけれど、できることがたくさんある。私は仲間を募ってボランティア演奏会を始めた。本当なら被災地のためのチャリティー演奏会等も開きたかったのだが、金銭面と演奏の力が足りず未だに実行に移せていない。
ただ、震災から3年が経ち、毎月11日はニュースで「震災から○カ月」などと放送されているが、どんどん人びとから、世界から忘れ去られてしまう気がする。阪神淡路大震災の復興には長い時間がかかったと聞いた。それ以上の被害のあったこの東日本大震災の復興にはもっともっと時間がかかるだろう。復興のためにも、音楽家の一人としてどんどん前を向いてできることに着手する必要があると感じている。

 

同性の恋人と震災。

やっと本題のセクシュアルマイノリティについての話に入るが、今後、また宮城県沖などの震災が起こった場合に心配なことがある。
私には今、付き合って1年になる同性の恋人がいる。家族にはカミングアウト済みで、比較的穏やかな生活をしている。それでも震災が再び……と考えると不安はつきまとう。恋人と連絡が取れなくなるだけではなく、恋人の職場は海が近い。恋人の心配をするだけの人間となってしまいそうで怖い。カミングアウトをしたことによって、家族に話を気兼ねなく聞いてもらえる反面、止まらなくなりそうなのだ。

その一方で考える。震災当時、男女、マジョリティ/マイノリティに関係なく恋人がいた人はどうだったのだろう。偏見が入るかもしれないが、一般的な男女の付き合いをしている人なら、いざという時にでも「実は彼氏がいる」「彼女が心配だ」と言えるかもしれない。
しかし、マイノリティとなると多くの場合「恋人」と濁すくらいしかできず、落ちついた頃に「紹介しなさいよ」等と親に言われても「別れた」と嘘をついたり、「今、向こう忙しいみたいだから今度ね」等と延ばし延ばしにしたりするしかない。

こうしたことをマイノリティではない方に想像してもらうには、「好きな恋人が紹介しづらい人だった場合」を想像してもらうとよいかもしれない。できれば紹介したくない人物と言えば、ギャンブルにのめり込んでいる人物や、借金をしている人、もしくはいわゆるヒモ等であろうか。それはマイノリティにも存在するが、一般社会でも同じように多くのマイノリティは真面目に、実に普通に生活している。
なのに “同性の恋人” というだけで、親に言えなかったり、世間に認められなかったりするのである。

 

何故、同性が好きなのか?

私は友人に「何故、多くの女性は男性を求めるの?」と質問してみた。友人は「それは、何故チョコレートが好きか、何故音楽が好きか、と聞かれるのと同じくらいなんでもない質問で、答えようもないものだと思う」と答えてくれた。つまり、当たり前のことなのだろう。
それは我々にも言える。「何故、同性が好きなのか?」一緒に居て安心できたり、ドキドキしたり、ときめくのが同性だった。それだけである。

幼稚園に通っている頃から、好きなキャラクターは女の子で、しかし、それはおかしいのではないか、隠さなければと思っていた。例えば、友達とマリオカートのゲームをするにしても、本当はピーチ姫が良いのに、女好きと思われたくなくてヨッシーを選ぶとか。

 

女だから/男だからではなく、得意な人がやればいい。

私は幼い頃から男性に良い思い出がなく、“男性より女性の方が頼りになる” と感じる経験が多かったかもしれない。実際、今回の震災でも助け合ってはいたものの、私の周囲で主に動いていたのは女性だった。「家の中のことなのだから当たり前だ」と思う方もいるかもしれないが、家の中だろうが外だろうが動き回っている人間は格好が良い。
じっちのアパートの住人であるフィリピン人のお母さんは冷凍していたお肉を惜しげもなく分けてくれたり、彼女の長男は得意の情報網を活かして食品の販売の情報を披露してくれたりした。

それで良いと私は思う。得意なことを得意な人がやる。彼女と彼女のカップルでも、彼氏同士でも、料理が得意な方がやる、運転が得意な方が率先する。これは異性間でも変わらない。形にこだわる必要はないと思う。
セクマイの用語である「タチ(Hの際等に彼氏側)」「ネコ(彼女側)」「リバ(タチ、ネコ両方可能)」という表現に捕らわれて、“リードはタチがしなければ” とか、“料理はネコがしなければ” というのはおかしいと思う。

 

女と男、だけではないということ。

この1世紀で食生活が多様化したが、同じくらい性も多様化している(もっと言えば性は昔からマイノリティがいたはずだが)。イタリアンが好きな人もいれば、韓流が好きな人がいて当然。じゃあ、男が好きな女性もいれば、中性が好きな女性もいておかしくないであろう。

と、こんなことを言うのも、私の恋人が中性だからだ。マイノリティの中でもさらにマイノリティと言える存在だが、私はどちらでもない性の恋人を誇らしく思うし、大好きだ。外見はもちろんユニセックスにおしゃれでかっこいい。中身は仕事もなんでも頑張るのに謙虚、「普通」に捉われ過ぎているのがたまにきず。地図が苦手な女々しいところもあれば、力持ちで男性的でもある。
これだけの情報だと何も変わったところがないように思われるだろうが、恋人は常日頃自分の性に悩む。

「自分が男なら彼女(私)を幸せにできたはず」
「でも性転換したい訳ではない」

必ずどちらかを選ばなければダメなのだろうか。病院などでは体の性別を伝える必要があるが、街かどのアンケートなどでは必ず性別がどちらかである必要はない。むしろ、世の中に数%でも存在しているなら、中性も仲間入りさせなくては不公平である。
「中性も」となると、「中性よりの女性」「男性よりの中性」など、その間の性も出てくると思われるが、それは「今日のファッションはスカートだから女性を選んでおこう」等、気分で選ぶ楽しさを持つのでも良いと思う。

同性の恋人、異性の恋人、いろいろあるのだし、中間の性の恋人もありだと思う。何故、ここでこんな説明を始めたかと言うと、中性の人間、性別に違和感がある人間の存在を知っていてもらわないと震災の時にだって困るのである。
着替え、お風呂、きっと避難所では男女に分かれて行われたであろう。しかし、FtMと呼ばれる「体が女性で心が男性」というタイプの方は体に問題なかったとしても、女湯に放り込まれた男性と何ら変わらないのだ。
自分の身に置き換えて考えてもらいたい。女性なら男湯に、男性なら女湯に飛び込めるだろうか。中には喜んで飛び込んでいける者もいるかもしれないが、大多数の人は? 胸だけ手術している方もいる。
胸がない女性、胸のある男性はどちらのお風呂へ?

現代では家庭の形、食生活、仕事、さまざまなものが多様化されており、それらは良しとされているのに、性の多様化について反対するのは何故なのか。生物学的には雄あるいは雌であっても、心は外見と違ったり曖昧だったりする。黒人、白人、黄色人種。黒、白、グレー。
これらの存在は良くて、性別における中間や外見との相違は何故ダメなのか。黒いことが偉い、尊い、とされる世の中になれば、みんな黒い服を着て日焼けサロンに通うのか。学習なら個性、個人に合わせるのに、世の中の学校は “男がパンツ、女がスカート” と個性を認めない。

女性らしさ、男らしさ。
男だから、女のくせに。

そんな言葉に捉われ過ぎてはいないだろうか。


2011年3月15日10時11分<br>震災直後の泉中央ペデストリアンデッキ<

2011年3月15日10時11分
震災直後の泉中央駅ペデストリアンデッキ(高架の歩行者専用回廊・広場)
宮城県仙台市泉区泉中央1丁目



2011年3月24日13時54分仙台駅、建物自体を工事していた

2011年3月24日13時54分
仙台駅、建物自体を工事していた
宮城県仙台市青葉区中央1丁目

 

2014年1月寄稿


■用語について


レインボーアーカイブ東北の「手記」には、耳慣れないセクシュアリティに関する用語がたくさん出てきます。下記のページにて、それぞれのおおまかな意味合いを解説していますので、ご覧ください。

 

レインボーアーカイブ東北による用語解説

さらに詳しい情報については、「性と人権ネットワーク ESTO」ウェブサイトをはじめとするセクシュアリティ関連サイトや書籍などをご参照ください。

■レインボーアーカイブ東北について
レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーなど、多様な性の当事者たちの生の声を集積・記録・発信する団体です。
可視化されていない地方の当事者の存在を広くアピールすることで、違いを認めあい尊重しあう、より生きやすい社会をめざします。
宮城県仙台市を拠点に活動している4団体「東北HIVコミュニケーションズ」「やろっこ」「Anego」「♀×♀お茶っこ飲み会・仙台」が中心となって2013年6月に設立されました。

連絡先:ochakkonomi@gmail.com (♀×♀お茶っこ飲み会・仙台)

※レインボー(虹)は多様な性のあり方の象徴として世界各地で用いられています。

センターについて

せんだいメディアテークでは、市民、専門家、スタッフが協働し、東日本大震災とその復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していくプラットフォームとして「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれン!)を開設しました。

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