ごうけいほうもんしゃすう

その時の星空が忘れられないし、忘れちゃいけないなと思ったのは今でも覚えてます

3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト 公開サロン @考えるテーブル 2013年10月5日

語り手:津川登昭さん/進行・聞き手:佐藤正実さん(NPO法人20世紀アーカイブ仙台)

■AER28階から見た、地震発生直後の仙台駅周辺

津川 登昭さん撮影 (3)

2011年3月11日14時50分頃 仙台市青葉区中央1-3-1 AER28階

[津川さん(以下、津)]津川登昭です。よろしくお願いします。仕事は、一番町にあります広告制作会社に勤務してます。3月11日は、AER(アエル:商業施設、公共施設、オフィス等から成る再開発ビル)の28階の会議室で、チームで考えた事業を発表しなければならないということで、1組目が終わって、次にぼくらのチームの番でドキドキしていた時に地震が起きました。
揺れが始まった時に、「あ、地震だな」って普通に思ってたけど、すんごい、半端ない揺れだったので、一番最初に頭に浮かんだのが、9.11のビルの感じがあって、もうビルの上にいたら逃げられないなという、半分諦めと、あとやっぱりビルを造った人がきちっとした人だったらいいな、というのがあって、もうビルに任せるしかないなという感じでした。
いつも小さいカメラを持ち歩いているんですけど、その時とっさに窓際で撮った写真がこれなんです。もう揺れてる最中……最中か数分後か、駅前を上から見た感じがこんな感じで、ずーっと見てたら、ひとが壁際にいたのがさーっと真ん中の方に寄ったり。あとこっちの足元の方には、もう車が止まってるんで、道路の真ん中に人がばーっと集まっていくような、人の動きというのが見えました。自分はどうしようもないので、ただずーっと眺めている感じで、AERの角部屋だったんで、もう街全体が見えるような感じで。
ビルの揺れとしては、ぐにゃんぐにゃんぐにゃんぐにゃんと、もう中央通りのアーケードが全部揺れているような感じで。あと、バスターミナルビルが見下ろせるんですよ。屋上にヘルメット被っている人が3人くらいいて、転がってましたね。AERのビルのスタッフたちは、窓際に寄らないでくれと。「ガラスが割れたりしてそこから落ちたりする場合もあるので、もうみんな中央に寄ってくれ」と言われるまで窓際にいました、なぜか。

[佐藤さん(以下、佐)]今、それ言おうと思ったんですよ。そんな端っこにいて大丈夫なのかなと思ったけど、やはり真ん中に寄れと言われたけれど、撮ってたのね。

[津]そうですね、ビルの中は「キャーキャー」っていう悲鳴だらけでしたね。他の人は会議室の真ん中の方に寄って、固まって座っているような感じだったんですけど、僕と「ハンバーグHACHI」の角田さんと二人で、「あそこやばいよね」とか、冷静な会話をしていた感じでした。もううちの、一番町のビルは多分倒れてるだろうなと思って、ここからどうしようかなというのを少しずつ考えていたような感じです。

[佐]これ見ると、ペデストリアンデッキ(高架の歩行者専用回廊)に人がずいぶん集まっているように見えるね。

[津]人が集まっているのは、駅舎から出てきた感じですね。2階部分にいる人たちは、もう下に降りるには階段とかエスカレーターしかないし、デッキ自体危険だとは思うけど、どうしようもないんで、外に出てきて、人が集まるところにどんどん集まってきているような状況だと思います。下にも人いっぱい集まってますね。

[佐]まだこの時は駅が閉鎖されてないのかもしれないですけども、この後、駅に入れなくなったはずです。

■外に出た後に見た駅前の様子

津川 登昭さん撮影 (4)

2011年3月11日 仙台市青葉区中央1-3-1 ペデストリアンデッキ(AER横)

[津]そして、AERの非常階段を、28回ぐるぐる回って地上に降りました。そこから塩釜方面に向かう仲間がいたので一緒に帰ろうとなりました。彼が車をとめている駅裏へ向う途中、AERから駅をまたいで東側に行く通路のところですね。デッキの上から、撮影したような感じです。

[佐]この、さっきのAERの28階から撮ったのもそうなんですけど、いつもカメラを持ち歩いているとはいえ、今から家に戻る途中ですよね、こういうのを写真を撮っておかなきゃ、っていう風に思ったのってなんででしょうか。

[津]何でですかね。分からないですけど、普段から震災にかかわらず写真を撮る癖はあるので、その流れですね。この時は震災だから、という感じでは全然なくて。これも、ただ大きい地震が来たというだけで、この時は全然津波のことなんか意識にありませんし。津波という言葉を聞いてたとしても、全然イメージできる時ではなかったです、まだ。

■道路が冠水していて立ち往生している人々

2011年3月11日国道45号出花付近仙台港北IC(津川登昭さん) (77)

2011年3月11日 仙台市宮城野区中野出花西90-1 くら寿司

[津]駐車場がゲート式だったら出口のバーを折って車を出そうと思ってたんですけど、ロックプレート式のやつで。出せなくて、じゃあ歩こうということになり歩きはじめました。
45号線をずっと歩いて、これはJR仙石線中野栄駅を越えた辺りの「くら寿司」(回転寿司チェーン店)の駐車場です。自宅へはここを入って北に向かい、仙台育英高校(多賀城校舎)の前を通って、田んぼの中を通って、JR東北本線国府多賀城駅の方、東北歴史博物館のとこなんですけど、入口にあたる「くら寿司」の所がこんな状況だったので進めませんでした。大勢の人もそこから先に行けないような感じで、仙台の方面に引き返す人もいました。遠くではクラクションがずーっと鳴り続けてました。
中野栄駅付近から、仙台新港の方、アウトレットモールの方を見た時に、この写真みたいに水が溜まっていたんですけど、この時も「津波」っていう考えは僕の中にはありませんでした。人生で、「津波」を理解したことは一度もなくて、港の付近なのでここまで来たって記録は見てたとしても、映像としてはなんにも自分の中にはインプットされていなかったので、何が起きているのか全然分からなかったです。

[佐]ここ45号線ですか?

[津]そうですね、右上に「回転」って看板が見えるのが「くら寿司」の建物で、これが裏の駐車場側ですね。その隣のラーメンショップと「くら寿司」が45号線に面しているところで。実は、ここより海から離れたエリアの方が、水が溜まってたりするんです。なので、どういう風に入って来たのか、直接来たんじゃなくて水路とか通ってきたのも考えられるんですけど、この一帯はずーっと水が溜まっていた状態です。
一緒に歩いて来た人から「水に浸かると体力を消耗するから、ちょっと戻ろうよ」って言われて、踏切から線路に上がって歩いて戻りました。でも少し戻って、「いや、水浸かっても僕は帰りたいんだ」と言って。そしたら一緒に来た人はお兄さんの家が近くにあるんで、仙台の方に戻ると。そこで別れて一人、僕は水に浸かる道を選んで帰りました。

[佐]そこで家にもうたどり着く?

[津]そこら辺から、妻には携帯で何回か電話してて、子供は無事なのかとか確認はしてたんですけど、家に近寄れないんで、どうしようかと。頻繁に電話してもやっぱりつながらないんで、何度も切れながら電話して。
ここから住宅地の方に入るとちょっと(どこが道なのか)分かりにくい感じになるんですね。写真ではまだ明るいですけど、暗くなってきて、本当に真っ暗な池の上を歩いているような感じで、間違ったとこに行ったらずぼっと深みに入るような所もあったと思うんですけど、もう勘を頼りにいくしかなくて。股ぐらぐらいの深さのところを迷いながら進みました。革靴でスーツで、上着は脱いで丸めて鞄と一緒に抱きかかえ、あとはもう諦めて。なるべく水がない所を選んでたんですけども、もう選んでいる余裕がなくて、もう深くても良いから帰ろうと。
真っ暗な中、ふと空を見たんですよね。しーんとしている所で。その時の星空っていうのが、忘れられないし、冷たくて足の感覚がなくなってるっていうのも忘れられない。その時に何故か、この感じっていうのは忘れちゃいけないなという風に思って、今でもそれは覚えてます。

[佐]津川さんに、震災後半年経った時にヒアリングをさせてもらった時も、同じことを仰ってましたよね。この冷たさは忘れちゃいけないな、という風に仰っていた。

[津]その時も、津波ってどんなのかな、っていう感じなんですよ、まだ。でも、災害で大変なことが起きているってことだけで、これから頑張んなきゃいけないんだな、ってなんとなく思ってたんです。その時に、頑張り続けるために、この冷たさとか、夜空の感じとか、なんでか覚えておく必要があるなと。

[佐]その時、ここから家までは時間的にはそんなに?

[津]どうなんですかね。歩いたら結構かかりますね。20〜30分かかるかもしれないです。

[佐]だんだん暗くなって真っ暗だし。

[津]道も分からなくなってきてるし。

[佐]奥さんはご自宅にいらっしゃったんですか?

[津]自宅にいて、車で迎えに来てもらおうと思ったんですけど、車でどこまで逆側から近寄れるか分からなかったし、待ち合わせ場所が特定できなかったので。もう自分でもどこにいるか分からなくなったので。何回も電話して、もう半分「どこにいるの!?」みたいな。「もうわかんないよ!」みたいな。

[佐]じゃあ奥さん来ていらっしゃるので、その辺聞いてみますかね。突然で申し訳ないですけど、今、話題になったので、その辺りのお話を。旦那さんから電話あったあたりから。

[奥様]電話を何回かけてもつながらない状況で、メールもほとんどつながらないということで。でも、とにかく歩いて帰って来ているということが分かったので、大体の場所、目印と言っても真っ暗闇なので、鉄塔を目印にしました。と言っても、鉄塔は何カ所もあるので、どの鉄塔なのか。

[津]「鉄塔だよ」って言っても、どの鉄塔だろうと。

[奥様]大体見当つけて。でも、やはり冠水して通行止めになっていたり、近所の人から「そっちから行くと車が進めないよ」という情報を頂いたりして、行ける道行ける道で。あまりお互いに動いていても会えないので、止まっていようということで、鉄塔の傍でじーっと待っていました。

[佐]鉄塔の下でお会いしたんですか?

[奥様]鉄塔の傍で会いました。

[津]鉄塔の近くで、僕は水から上がって、半魚人のように、黒いスーツで。

[奥様]こちらは車から降りて。

[津]車には家族が乗っていたので、無事だったなぁと思って。車に乗った時が、すごく安心しました。

[奥様]車の中ではテレビが見れたので、地震の直後から家ではなくて近くのコンビニの駐車場で、そのテレビをずーっと見ていて、信じられない光景が次々、名取の閖上の辺りが映って、まるで映画のような……それで夕方になってきて、夫がまだ帰ってこれないし、どういう状況かも分からなくて、ずっと「信じられない」という言葉だけが頭の中をぐるぐる回っていた状況でした。

[佐]ありがとうございます。そんな感じで救出されて。じゃあ次の写真行きますか。翌日ですね。

■浸水した駅前商店街

★写真使用2011年3月12日JR本塩釜駅周辺、浸水した商店街津川 登昭さん撮影 (1)

2011年3月12日 塩竈市海岸通1丁目 JR本塩釜駅周辺

[津]多賀城の自宅に戻って、真っ暗な中過ごして、ただの大きい地震だろうと。カーナビでテレビをちょっと見たんですけども、家に入ってからはずっとラジオの情報だけで。ただ、ラジオの情報もあまりそんなには発信していなかったので、津波は来たというのは聞いててもどうなのか全然分からず。ちょっと離れてはいるんですけども、東北石油(JX日鉱日石エネルギー製油所)のタンクの煙がもうもうと見えて、臭いもタイヤを焦がしたような臭いがしてきて、近所の人が今逃げた方がいいかもしれない、というので、妻の実家の塩釜の松陽台の方に避難することにしました。車で移動したんですけど、その途中、運転席から撮った写真です。塩釜の海岸通りで、次の日の朝だったんで、こんな感じですけど、ここも津波の高さとしては2メートルくらい来てた地域です。一晩で水が引いて、これくらいの泥とか、流れてきたものが残ってたような感じで。この写真では車道が通れるように見えますけど、写っていないところは車だとか自動販売機とかが転がっていました。

[佐]今、この場所を訪れると、様変わりしてますか?

[津]ここは解体した建物がすごく多いんで、写真のアーケードの左側の途中に矢部園(塩釜市の老舗のお茶屋さん)さんが今もありますけど、それ以外は空き地になっているような感じで、再開発どうしようか、というような感じの所です。

■自宅から見た石油コンビナートの黒煙

津川 登昭さん撮影 (5)

2011年3月12日 多賀城市

[津]先ほど話した、自宅から見た東北石油の煙です。ラジオでは、原発の話とかはやってたんですけど、僕にとっては東北石油の情報がすごく欲しかったですけど、なんにもなかったです。近所の人とは、その話しかしなかったです。怖かったですね、すごく。

[佐]こんな間近で、黒煙が上がっているのを見てると、やっぱり怖いですよね。

[津]距離はちょっとあるんですけども、ただ、煙自体がかなり広がっているので、もっと近くのエリアだったらかなり煙に包まれていたんだろうなと思います。

[佐]その時っていうのは、よく話になりますけど、ラジオ・テレビ、大手メディアっていうのが、原発一色になったというのもあるし、欲しかった身近な情報というのがなかなか自分たちで取ることができなかったなと。むしろ、「どこの店やってるよ」とか、「食べ物や水がどこに行くと手に入るのか」という身近な情報はツイッターや、facebookの方が回ってましたよね。

[津]僕もツイッターとかfacebookを使うようになったのは、数日後です。直後はやっぱりラジオを多く聞いていて、ラジオだとやっぱりラジオ局自体がカバーしないといけないエリアというのが広いんで、自分のことだけを言ってくれるわけはないし。そういった時にやっぱりツイッターとかfacebookは、リアルタイムで自分の為になる情報があるというのを気づいてからは、そっちの方を使うようになりました。

[佐]ガセやデマも多いんだけども、ただ、パーソナル情報というか、身近なエリアの情報としては、正確な情報が多かったなという風に思います。

[津]そうですね。そこで全てを信じてはいけないとは思うんですけど、ただ、「探る力」が付いたんじゃないかなと。

[佐]あと、例えば津川さんが言っていれば、「ああ、津川さんが言ってるんだから大丈夫だ」っていうのもあるんじゃないですかね。

[津]僕のはわかんないですけど、例えば「原子力発電所の爆発の影響がどうのこうのって病院の先生が言ってます」みたいな情報って結構出回ってて、それも初めのうちは信じちゃいましたけど。でもそれも、直接その人が言っていたんじゃなくて、ただ使い回しの、コピペの情報みたいなのっていうのは、自分でちゃんと確かめた方がいいなというのはその時に学びました。

■ガソリンスタンドとスーパーに並ぶ行列

2011年3月16日(津川登昭) (7)

2011年3月16日 塩釜市栄5-7

[津]これは妻の実家に行ってからの写真です。食料どうしようか、ガソリンどうしようかといった時に、近所のガソリンスタンドやスーパーだとかに人や車が並んでいる状況です。これは、玉川中学校の近くです。これ、撮ったのは妹です。買い出しに行くって言って、妻と妹が一緒に行った時に撮って。行列がすごくて、なんかもういいんじゃない、とか。

[佐]これ、車も並んでるし、人も並んでるんですか? 車が左側にずっと並んでて。コスモ石油ありますよね。

[津]ガソリンスタンド、ここの正面のコスモ石油と、あと見えないんですけど左側にもう1個あるんですね。なので、車の行列が訳分かんなくなってました。四方から行列が来てて、どっちに並んでるのか。人は生協に買い物に行こうとしている人たちだと思います。別の行列です。

[佐]すごいですよね、この行列。

[津]ここら辺の日だと、河北新報の情報、お店で何を売るとか、ガソリンスタンドどこ開けるだとかっていうのを見て、「あ、塩釜って書いてある」と行ってみるとこんな感じだったり。

■ガソリンスタンドに設置された看板

津川 登昭さん撮影 (6)

2011年3月24日 塩竈市栄町9-1

[津]これはガソリンスタンドかな。この時分は、塩釜から仙台まで、自転車で会社に通ってたんですよ。夜遅く、前の写真の出光のガソリンスタンドの前を通ったらこういう張り紙があって、もうしばらく望めないなと思い撮りました。

[佐]「3月24日に整理券もらった人は、明日は買えるよ」みたいな感じで、書いてますよね。

[津]そうですね。こういう情報は入手してても、僕は仙台に来なきゃ行けなかったし、ガソリンはまだまだ入手するのは先でしたね。かなり後まで、しばらく自転車で移動していたような感じでした。

[佐]多分この看板は皆さんも見覚えがあるかと思います。同じ所じゃなくても、「今日は売り切れました」とか、「明日は何時から販売します」というのは、目にした機会が多いんじゃないかなと思って、津川さんの写真を使わせて頂いています。

[津]ただ、なんと書いてあろうと行列はありましたね。「売りません」とか書いてあるのに、行列はありました。

[佐]嘘だな、売るはずだな、みたいなね。

[津]なんかそんな感じでしたね。

[佐]ありがとうございます。




*この記事は、2013年10月5日にせんだいメディアテークの考えるテーブルで行われた 『3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト公開サロン「みつづける、あの日からの風景」』で、津川登昭さんがお話された内容を元に作成しています。
当日の様子(考えるテーブル レポート)→ http://table.smt.jp/?p=6738#report

【3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは】
このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定 期的に行っていきます。これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。

【考えるテーブルとは】
人が集い語り合いながら震災復興や地域社会、表現活動について考えていく場を「考えるテーブル」と題して、せんだいメディアテーク、7階スタジオに開きます。トークイベントや公開会議、市民団体の活動報告会など多様な催しを行っていきます。

センターについて

せんだいメディアテークでは、市民、専門家、スタッフが協働し、東日本大震災とその復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していくプラットフォームとして「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれン!)を開設しました。

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