この記事は、「3月12日はじまりのごはん」の展示期間中に来場者が貼ったふせんやパネルの様子を紹介するものです。展示された各パネルの概要は[いんでっくす]ページをご覧ください。
▼「3月12日はじまりのごはん」とは
▼ふせんのコメントについて
[2014年秋]展示パネル
※英語で書かれたふせんは、矢印の先にある日本語のふせんを英訳したものです。
[パネルに寄せられた来場者のコメント]
写真の内容や場所に直接関係のないコメントもあります。
▷加油 仙台市 台湾 台南
▷台湾 台南 建築 から
▷電気・水道のありがたさを実感した。
▷4/7深夜、再び震度6強の余震でこんな状態に… 心が折れたしまだ終わらないと感じた夜。
▷誰もが見たであろう「日常」が「日常」でなくなる日。
▷ガス・電気・水がとても大切な物だと改めて気づかされました。
▷津波の被害があった土地で、冷蔵庫が、転がっていた。中には、たまごとか入ってて、あぁ、生活していた人が、使っていたんだもんなぁ…と、悲しくなったのを思い出した。
▷3/13 家にあった食材を、ヒナン所に持ち寄る・その時、冷凍庫に入っていた肉なども持って行けばよかった。→何日かたってから冷凍庫を開け、最終的に捨てた…(停電していたので)
▷冷凍庫の中身があったので1週間くらいは食べることができた。停電中のため溶けてきたものから食べました。
▷こんな事もあったネ〜。忘れていたよ 忘れてはいけない。
▷家に帰ったら窓ガラスが割れていました。とりあえず中に入ると見知ぬオジさんが部屋にいた。110番しようとしたが電話がつながらず取り逃してしまった。被害は、缶づめとおかしだった。まあいいかと思った
▷水、電気、ガス、そして、衣食住が足りている何気ない毎日を大切にしていきたい!
▷電気が止まってしまったので、ポータブルのガスコンロでお湯をわかしてラーメンを食べた。暗くて不安だった。
Since we had no electricity, we boiled water with portable gas burnar. We were nervaus...
▷みんな見てたよね。あの日の空を。街灯が消えた街角で、ふと見上げた夜空はとてもキレイで、それだけがあの日の希望だった。
ふせんのコメントについて
この展示には、仙台市内はもとより、沿岸部・内陸部、宮城県内外、国内・海外を問わず、大人から子どもまで、さまざまな立場の方々が来場され、展示された震災時の写真から想起したことを、ふせんに書いてくださいました。ここでは、その寄せられたコメントの原文を、そのまま掲載しています。なお、灰色の英文は日本語のコメントを翻訳したものです。
2011年3月11日 宮城県仙台市太白区
記録:遠藤瑞知さん
提供:NPO法人20世紀アーカイブ仙台
「3月12日はじまりのごはん」とは
炊き出し、買い物、食卓の風景など、震災時の「ごはん」にまつわる写真を展示し、それらの写真を見て思い出したことや当時の暮らしぶりなどを、来場者に自由にふせん紙に書いてもらう参加型展示です。この展示は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台と3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)が協働で企画しました。
展示された各パネルの概要や利活用事例等は[いんでっくす]ページをご覧ください。