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過ぎてきた日の記憶

2023年から2004年 仙台市宮城野区田子西地区がたどってきた足跡

仙台市宮城野区在住の髙橋親夫さんは長年、地域の写真を撮り続けてきました。
この記事は、2023年の仙台市宮城野区田子西地区の写真から始まり、2001年頃の蒲生の写真へと、過去へさかのぼるように43枚の写真で構成されています。
田子西地区は、震災前は同区の中野地区や蒲生地区など暮らし、津波によって住居を失った人たちの移転先のひとつです。住居が完成するまで過ごしたであろう近隣の仮設住宅や、移転する理由となった震災時の様子まで、人々が歩んできた足跡を想像しながらこの地域の風景をたどります。

(以下、文・写真:髙橋親夫)

「過ぎてきた日の記憶」
これは仙台市宮城野区蒲生が東日本大震災で壊滅し、その後の仮設住宅生活を経て、集団移転先として仙台市田子西地区に移り住んだ人たちのたどってきた暮らしの一部を、写真で追憶の形で綴ったものである。
あの日から14年を経て、記憶は時間と共に風化し続けているが、それぞれのリアルで衝撃的な写真は、忘れかけていた記憶をよみがえらせてしまうだろう。 それは苦難に満ちた日々だったことを物語っている。

2023年 

2023年10月21日 田子西地区
今や新しい住宅地は、新しいふるさとになっています。


2016年

2016年10月13日 仙台港背後地6号公園仮設住宅


2016年9月19日 仙台港背後地6号公園仮設住宅
現実と未来に不安をかかえた被災された方々をたくさんの人達が支えていました。
自分たちで野菜をつくっていました。
                           


2015年

2015年7月3日 田子西地区 
埋められた農地は新しい住宅地になりました。


 2015年5月5日 仙台市宮城野区 田子西地区
土地が祓い清められ方々で我家の建築が始まります。


 2015年5月1日 田子西地区


2015年4月6日 田子西地区
何もない土地に電柱だけが立ち並びます。地域の未来への祈りの様です。


2015年4月4日 田子西地区
今日も地鎮祭がとり行われました。


2015年3月29日 田子西地区


2014年

2014年6月26日 田子西地区
田子西で見た看板。これから誕生する地区の未来図。


2013年

2013年12月3日 高砂1丁目公園応急仮設住宅
被災された人々を支援する冬のイベント。


2013年4月21日 蒲生


 


2013年4月1日 田子西地区
住宅地になる前は水田だった。見えている白い建物は宮城野高校。



2013年3月23日 蒲生 
 被災地での祈り。


2011年

2011年3月26日 中野西原
状況確認に来られたのかな?



2011年3月14日 高砂市民センター 
たくさんの避難者の人が集まってきました。
仕切りもありません。館内は土足です。 


2011年3月12日 中野白鳥
早朝。仙台港のプラント工場が翌日も燃え続けています。


2011年3月11日 高砂大橋から上流
津波は川を遡ってきました。


2004年

2004年2月7日 蒲生界隈
平和な暮らしがありました。


2001年

2001年5月26日 蒲生界隈
蒲生入口。かつてはこの細い道がバス通りで、
市営バス・宮城交通ともに走っていた。



2001年4月16日 蒲生
ウナギやコイの養魚場がたくさんありました。

 

 

[2024年00日公開]

センターについて

せんだいメディアテークでは、市民、専門家、スタッフが協働し、東日本大震災とその復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していくプラットフォームとして「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれン!)を開設しました。

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