ごうけいほうもんしゃすう

てつがくカフェ カウンタートーク 第13回

『分断線』(高橋源一郎)から〈震災以降〉を問う

「あの日」から、ぼくたちの間には、いくつもの「分断線」が引かれている。
そして、その「分断線」によって、ぼくたちは分けられている。(※)

『「あの日」から僕が考えている「正しさ」について』(2012年、河出書房新社)の著者・高橋源一郎氏は震災以降、多くの人々が抱いてきたであろう意識の違和感を「分断線」という言葉で表現しました。たしかに、私たちが人と語り合ったり、行動を起こしたりするときには、目に見えない境目や溝、線が横たわっていることがあります。高橋氏は、震災を契機に「反・脱原発」と賛成派との間だったり、東北の復興・復旧に重点を置く人と、日本全体の問題に重きを置く人との間だったり、今すべきこと・してほしいことが異なる人との間だったり、さまざまな「分断線」が引かれ、増殖していると述べています。
さらにもう一つ、誰と誰の間に「分断線」があるのでしょうか。政治家と市民、テレビの向こう側の人とこちら側の人、あの町の人とこの町の人、いやむしろ今隣にいる家族・友人・地域の人々との間にも、巨大あるいは些細な分断線が引かれているのかもしれません。
そして、この線の存在に気付くとき、私たちの心は苛立ち・腹立たしさ・違和感・悲しみを伴い、意見の異なる人々を「敵」と見なすことさえあります。「どうしてわからないんだ」「なぜ今それをするんだ」「こちらが先だ」などの声とともに。しかし、「分断線」の向こう側の人たちは、本当に敵であり、分かり合えない相手なのでしょうか。「あの日」以前には、いくつもの共通点を持った人たちもいたはずではないでしょうか。
今回の「てつがくカフェ」では、「あの日」からどのような「分断線」が、誰と誰の間に引かれ、どのような感情を引き起こしてきたのかを語り合いつつ、なぜ「分断線」は引かれるのか、という根っこの部分を掘り下げていきたいと思います。 私たちは「分断線」を乗り越えること、消すことができるのでしょうか?
(てつがくカフェ@せんだい 房内)

ぼくたちはばらばらだ。ばらばらにされてしまった。
放っておくなら、もっとばらばらになるだろう。
ぼくはごめんだ。やつらが引いた分断線なんか知るか。
ぼくたちが自分で書いた分断線は、ぼくたちが自分で消すしかないんだ。(※)
※引用はすべて高橋源一郎氏のtwitter(2011年10月17日)より

にちじ
2013年1月27日(日)16:00〜17:00
しゅさい
3がつ11にちをわすれないためにセンター
てつがくカフェ@せんだい

てつがくカフェ@せんだい
http://tetsugaku.masa-mune.jp/
考えるテーブル
http://www.smt.jp/thinkingtable2012/?p=2146

※本映像はUstreamで放送したものを、Youtubeでアーカイブ配信しています。

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