もうすぐ、東日本大震災から2年が経とうとしています。2011年3月11日。それを機に生まれた言葉や出来事、それらは今、どのように私たちの中で生きているのでしょうか。
その中でも「絆」は震災直後の私たちの在り方を特に印象付けたものであったように思えるほど、多く用いられてきました。確かに、絆が間を取り持つものは、家族・友達・同僚・さらには共同体など様々なものに及ぶのかもしれません。それにしても、震災以降、つながりを表す言葉がいくつか存在する中で、なぜここまで「絆」という言葉が多く取り上げられてきたのでしょうか。筆者には、「絆」の語があまりにも多くの人々に広く使われた結果、社会的に様々な現象をもたらしたように思われてなりません。
「絆」という言葉がスローガンのように広がっていく中で、私たちはどのような意味で用いてきたのでしょうか。仮に家族や友達と絆を持っていたとして、それらが対立した際、いったいどちらの絆(そもそも絆と呼ぶべきなのか)を優先すべきかを決めなければいけない時があるでしょう。
もし、数ある中のどれかを優先できるとしたら、複数の絆はどうやって順位づけられているのか、或いは絆を結ぶ対象によって、それらは全く別の意味を帯びるのかという問題も出てきます。
そして、「絆のありがたみを知った」「絆って大事だと思った」という話は聞きますが、私たちは、絆の存在によってどのような恩恵を得ることができたのでしょうか。妥当であるかどうかは別として、各国からの資金・物資提供、震災発生時の周りとの助け合い、復興に向けたコミュニティの強化…などが例として挙がると思います。
さらには、絆の存在そのものを救いと感じる場合もあるのかもしれません。一つ極端な事例をあげると、あるSNSにおいて「手繋ぎ隊」というものが発生しました。その内容は、自分のハンドルネームに
「⊂(・囚・)つ⊂(`囚´)つ」という顔文字を入れてつながりを表すというものでしたが、なんと4000人以上の規模になっていたそうです。これは、もしかすれば「繋がっている」という事実を自分で感じるためのものなのではないでしょうか。
こうした状況をふまえて、今回の「てつがくカフェ」では、絆とはなにか、それは、誰のためのものなのかといった問いを、改めて考えていきたいと思います。それは、問いの答えを求める通常の議論とは異なり、若干歯がゆいと感じられるのかもしれません。しかし、このような場の存在こそが、我々の辛抱強さを養い、考えをたくましくするきっかけになると考えています。
(てつがくカフェ@せんだいスタッフ 川上拓也)
- にちじ
- 2013年2月17日(日)18:00〜19:00
- しゅさい
- 3がつ11にちをわすれないためにセンター
てつがくカフェ@せんだい
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考えるテーブル てつがくカフェ
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