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『飯舘村に帰る』アフタートーク 島津信子×福原悠介

星空と路-これまでの記憶、これからの記録-(2019)

2019年3月7日(木)から4月21日(日)の日程で開催した「星空と路-これまでの記憶、これからの記録-」では、3月9日(土)、10日(日)の二日間、わすれン!参加者による記録映像の上映とアフタートークをせんだいメディアテーク7fのスタジオシアターにておこないました。

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(中)島津信子さん/(右)福原悠介さん



3月9日(土)10:30からの上映は『飯舘村に帰る』、アフタートークには制作者の島津信子さんと福原悠介さんが登壇しました。
『飯舘村に帰る』は、2017年3月に一部地域を除いて避難指示解除となった福島県飯舘村に帰村された方々へのインタビューを中心に記録された映像です。震災当時、東京電力福島第一原子力発電所の事故により思いもよらず避難しなければならなかった飯舘村の人びと。避難指示が解除され、6年以上に及ぶ仮設住宅での暮らしから村に帰る選択をした多くは高齢者でした。
制作者のひとりの島津信子さんは、2013年から福島県国見町の仮設住宅にボランティア活動で通い、飯舘村から避難してきた方々と話をしてきました。そこでできたつながりは避難指示解除後も続き、その後の村に通うなかで、帰村した方々の想いを記録に残したいと思うようになります。そこで映像作家の福原悠介さんと協力し、ふたりでわすれン!参加者となって記録活動がはじまりました。
完成した映像には、村への想いを朗らかに話す飯舘村のみなさんの様子をつなぐように、村の風景が映し出されています。行き交う人のいない道や取り壊される住宅など、そこに映ったものはみなさんが語る村とはまるで違った印象があり、帰村された方々の複雑な心情を表すかのようです。
当事者でないと分かりきれない想いにどうしたら近づいていけるのか、トーク終盤の質疑応答の時間に福島県から来場された方が言った「…実際に住んでいる両親とは違う、当事者と当事者ではないっていう線引きがすごく、家族のなかにもあって…」という言葉が印象的でした。

トーク内容全文はこちら⇒ PDFファイルテキストファイル

 

【来場者のこえ】(上映会アンケートより)


・素顔の被災者でありつつ、素顔の生活者がともに自然にあらわれていた。震災の村での暮らしの厚みと災後の苦難の重みがともにたたずまいの中に積み重なっていることが映像に記録されていた。美しい自然と風景と除染土のパックの風景の両者の景色がうまく言えないがよかった。

・実家が川俣町なのでとなりの飯舘村の記録大変身近に感じて観てました。本当に理不尽な状況を強いられ、飯館村はいちばん最後に避難となるなどひどいと思っていました。今回生の声が聞けて大変よかったです。もっと怒りの声があるのかなと思っていたのですが……年齢もあるのか?そんな中で男性の話ー原発に対する批判が直に伝わってきた。共感しました。

 

【記録映像紹介】
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『飯舘村に帰る』 55分
東日本大震災による原発事故の影響で、思いもよらず避難しなければならなかった福島県飯舘村の人びと。避難指示が解除され、6年以上続いた仮設住宅での暮らしから村に帰る選択をした村民たちに、かつての村の様子や帰村後の暮らし、村への想いを聞いた。語りを聞き、身ぶりを捉えた映像の記録。

[聞き手]島津信子
[撮影・編集]福原悠介
[撮影地]福島県相馬郡飯舘村、福島県伊達郡国見町
[撮影日]2017年12月4日、2018年11月6日・11月20日・12月20日
[制作年]2019年

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