語り手:すずきみきさん/進行・聞き手:佐藤正実さん(NPO法人20世紀アーカイブ仙台)
■仙台駅内店舗の建物調査の張り紙
[鈴木さん(以下、鈴)]この写真もなんですが、私が佐藤さんにお送りした写真はほとんどピンぼけです。私は震災当時、仙台駅前のビルに勤めていて、毎日仙台駅の構内を通って通勤していました。仙台駅では毎日作業をされる方が朝集まってミーティングをしたり、見たこともないようなでっかい重機が来たり、コインロッカーが転がったりしていて、本当にたくさん写真を撮りました。でも、震災で気が動転していたとみえて、全部がピンぼけでほとんど判別できないような写真ばかりがストックされました。その中で奇跡的に残っていた写真がこちらで、仙台駅構内の床屋さんが建物を調べてもらって、安全を証明したその表示の紙ですね。皆さんもよく知っているかと思いますが、赤は危険、黄色は建物を調べなくちゃいけないといった意味があるようなんですけど、震災の時にしか見られない表示だということで撮ってみました。
■ガスが開栓した!
[鈴]震災後、全国各地からほんとに遠くのガス会社の方が仙台に来ていました。ガスが復旧するには、ガス会社の人にガスの点検をして頂いて、それでオッケーだよというのを確認された後で、ガスの開栓という手続きを踏みました。中心部の我が家でも、非常に長期間ガスが止まっていました。それで、ガスが通じてお風呂に入れるようになった時に、飛び上がって喜びました。それまでの間は、我が家はT-falの電気ポットでお湯を沸かして、お風呂に入っていて大変でした。
[佐藤(以下、佐)]ガス通じたのは、この日になるんですか?
[鈴]その、翌日だったと思います。
[佐]中心部だから、電気の復旧は早かったけど、ガスは遅かったんですよね。
[鈴]はい。だから家がオール電化の方は、うちはもうお風呂に入っていると自慢してました。
■アゲハチョウのしんちゃん
[鈴]ただのアゲハチョウの写真です。これはストーリーがあって、その陰にあったストーリーを、編集者の(聞き手)が理解してくれて、その上で全国の皆さんが受け止めてくれた写真です。そのストーリーを語ります。
[佐]一応、これは越冬したアゲハチョウですね。
[鈴]そうですね。うちに子供がいるんですが、当時小学6年生で、卒業式の練習をしているときに被災しました。卒業式もできるかという状態で、結局は自分の小学校では卒業式ができなくて、隣の高校の体育館を借りて卒業式をしました。その間、放射能の心配もあってあまり外にも出られない状況で、子供なりに、他にもっと辛い状況の人たちがいるって分かっているので我慢して過ごしていた時です。ある日、玄関にアゲハチョウのサナギが落ちていたんです。建物にくっついていたんですが、揺れで落ちちゃったんですね。子供がかわいそうだからって、ボンドで写真に写っている植木鉢にくっつけてあげて、毎日見ていました。ある朝、4月24日の朝に、なんか生まれそうだっていう感じになったんです。娘はサナギをくっつけたときから、震災から助かったアゲハチョウだから「しんちゃん」って名付けて、毎日「しんちゃん大丈夫かな」って見ていました。
アゲハチョウが、サナギから出てきて飛びたつまでものすごく時間がかかるんですけど、それをずっとビデオで追っかけながら写真も撮って見ていました。しんちゃんが飛び立つ直前の写真が、これです。しんちゃんはこのあと大空に飛んでいって、どこかへ行ってしまいました。でも、しんちゃんが飛んでいく様子を見て、希望を感じたというか、やっぱりがんばんなきゃいけないな!っていう気持ちを、親子で強くした記念の1枚です。
[佐]写真だけだとただのアゲハチョウの写真ですけど、その裏に今もお話いただいたような、子供と鈴木さんの会話だったり、季節感というか、時間が流れていく、自分たちも復旧復興に向かっていこうという、希望を持つことができたっていう話を聞いた時に、ああただのアゲハチョウの写真ではもちろんない。そこには、自分たちの心が折れる部分と、「あーでも頑張んなきゃな」という両方が分かるのは、やっぱり写真とテキストアーカイブをやっていかなきゃいけないなっていうことを、強く感じさせてもらった写真だったんです。写真の奥にはいろんな物語があるってことをね、感じさせてもらいました。
[鈴]娘にとっても、記念の一枚になりました。
■仙台空港国際線再開のチラシ
[鈴]地下鉄泉中央駅でこの号外が配布されていました。仙台空港の国際線が再開した時のものです。日付で見ると5月ですね。
[佐]後から調べたら、6月何日にチャーター便が出てるみたいで、予告のチラシかもしれないね。
[鈴]そうですね。空港も見に行きましたし、あの状態から「えっもう回復したんだ」っていうのが、信じられなかったです。それで、あまりにも嬉しかったのでチラシを泉中央駅の床において撮りました。
[佐]じゃあその瞬間は怪しかったですね。
[鈴]怪しかったです。もう佐藤さんに感化されて相当怪しい行動をとってます。
*この記事は、2012年11月24日にせんだいメディアテークの考えるテーブルで行われた『3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト公開サロン「みつづける、あの日からの風景」』で、鈴木美紀さんがお話された内容を元に作成しています。
当日の様子はこちらからご覧いただけます。
《考えるテーブル レポート》→http://table.smt.jp/?p=3701#report
【3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは】
このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定期的に行っていきます。これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。
NPO法人20世紀アーカイブ仙台
公式Web:http://www.20thcas.or.jp/
【考えるテーブルとは】
人が集い語り合いながら震災復興や地域社会、表現活動について考えていく場を「考えるテーブル」と題して、せんだいメディアテーク、7階スタジオに開きます。トークイベントや公開会議、市民団体の活動報告会など多様な催しを行っていきます。