ごうけいほうもんしゃすう

東日本大震災を自分なりに振り返ってみる

記録者:小浜耕治

50代前半 ゲイでMtX 仙台市太白区に居住
東北HIVコミュニケーションズ(THC)所属。
男性同性間のHIV問題に取り組むゲイのボランティアグループ「やろっこ」にも関わる。
介護士としてホームヘルプ・デイサービスで勤務。
20年弱の付き合いとなる男性パートナーと同居するマンションは大規模半壊するも、
部屋は持ちこたえ、自宅にて被災生活を送った。

▽この手記の用語解説について

現地の立場から書いてほしいと依頼を受けたが、一口に被災地といっても多様な立場がある。私が感じた、私なりの振り返りを記してみようと思う。

■3月11日

2011年3月11日時点では私は職業訓練中で、訓練校の授業の休み時間に地震が起きた。教室にいたが、他のみんなは机の下へ隠れる中、私一人座ったまま机に捕まり必死で揺れを耐えた。室内には幸い倒れてくるような大きなものはなく、時計が落ちて割れたくらいで済んだ。揺れが収まり、古い建物は危険だろうと表に出る。階段には大きな亀裂も入っていて、恐怖を感じる。ビルから出てきた人で通りは混雑していたが、そこへ何度も余震が襲う。おびえる学友をなだめながら、様子を見る。パートナーから無事だとのCメールが入り、一安心する。
訓練校校長が、それぞれ気をつけて帰るよう指示を出し、何人か連れ立って仙台駅方面へ。駅前はすごい人で車道にも人がはみ出している状態。交通機関はマヒしていて、徒歩で帰宅することに。その間、何度もパートナーにCメールを打つがつながらない。はやる心を抑えながら、広瀬川沿いの道を南へ。正面に黒煙が上がっている。名取市の閖上の方向だ。火事が起こったのかと考える。自宅付近で、消防車が「10メートルを超える津波が来ているので、川から離れるように」と呼びかけている。黒煙は津波火災かと頭をよぎる。雪もこんこんと降り出した。近所のおばさんが「よりによってこんな時に降らなくても!」と泣きそうな声で叫ぶ。暗くなってきたが、街灯も信号もつかない。停電だ。
自宅ではあらゆるものがぐちゃぐちゃにかき回された中、パートナーが寝室だけは確保して、居場所を作ってくれていた。無事を喜びあい、こういう時のためにと捨てずにとってあった石油ストーブに火をつけ、暖を取り、ご飯を炊いた。パートナーは、一時は水が出た間に、鍋という鍋に溜め水をしてくれていた。

 

■3月12日

一夜明け、表に出てみると、閖上方面、荒浜方面、多賀城方面から、未だ黒煙が上がっているのを目にする。大阪府にある実家にも、公衆電話から何とか連絡することができた。全く情報がないので、近所を自転車で走ってみる。小学校が避難所になっていて、そこで車のフロントガラスを使って掲示してある新聞の号外を目にし、惨事の大きさを知った。帰りに開いていた新聞屋で号外はないかと聞いてみたが、もうすっかり出払っているという。次の日にいちはやく販売店に行って新聞を分けてもらう。「こんな時ですから、情報は必要ですよね。お代はいいですよ」と、無料で配ってくれている。
パートナーと「まさか!」と声を上げながら新聞を食い入るように読む。その晩には電気が復活し、やっとテレビを見ることができ、またまた愕然とする。やはりあの黒煙は、津波火災だった。多賀城方面の石油コンビナートの煙は、まだまだ収まる気配もない。
食料など、はじめは冷蔵庫がやられた店舗が、在庫処分風にお安く分けてくれていた。あちこち回って、ある程度のものを手に入れ、一安心。その後、並んで入っても店の棚には何も残っていない。おじいさんは家の片付けに、おばあさんは外へ買出しに、ではないけれど、パートナーが部屋の整理をしている間、昼間はあちこち出かけて物資の調達にいそしんでいた。ひとりでなく、彼と一緒だったことが本当に心強かった。彼もそう言ってくれている。
自転車で30分走って、活動場所の事務所にも行ってみたが、部屋の中は目も当てられない状態だが建物は無事で、時間をかけてじっくり復旧を待ち連絡を取り合う。やがて地下鉄が一部復旧し、「やろっこ」が運営協力するコミュニティーセンターZELもいち早く開館。1升分のおにぎりを握っていそいそと出かけていき、たいへんな状況を乗り越えた仲間の顔を見て、ちょっと興奮気味に話が弾む。


東北新幹線広瀬川橋梁上で止まったままのMaxやまびこ

東北新幹線広瀬川橋梁上で止まったままのMaxやまびこ 2011年3月撮影

■当時、セクシュアルマイノリティは

THCの活動は、電話相談は当分の間(2011年4月末まで)休止した。HPでの情報提供(拠点病院の状況や薬がなくなった際の断薬など)を行うこととしたが、その後の検査体制の復旧状況なども含め「やろっこ」のメンバーが主に動いてくれた。ZELの運営も継続し、「やろっこ」の働きは大きかった。
このころWEB上では、避難所でのセクシュアルマイノリティへの配慮についての議論が交わされたり、「被災地のセクシュアルマイノリティに対してできることは?」という動きを目にしたが、被災地にいる自分は「蚊帳の外」の感が否めなかった。正直、その日をこなすのに精一杯で、皆がどのように考えているかに思いをめぐらす余裕もなく、やっと「被災地からの声が上がってくるのを待ってほしい」と書き込めたに過ぎなかった。「レインボー・ファンド」「レインボー・エイド」が、その活動が具体的になり始めるまで、私も特段動くことはできなかったように思う。 「レインボー・エイド」をはじめとして、ZELやESTO、セクシュアリティと人権を考える会、THCなど、さまざまな場で自分たちと震災の関わりを語ってゆく場は持てた。その中で、ジェンダー・セクシュアリティと震災の関わりについて、社会との関わりについて、少しずつ言語化していくことができたように思う。

 

■そして、現在

さて、震災を経ての現在の私であるが、職業訓練も綱渡りで再開し、2011年9月に修了。同時にホームヘルプで非常勤勤務が始まり、その後デイサービスへも勤めることとなった。このご時世に、幸運なことだと思う。
勤務があまりタイトでない分、THCの活動も継続しつつ、少しずつ新規のものが入りだした。被災者支援の活動の情報には触れるようにはしているが、直接関わってはいない。それだけのエネルギーは、今はまだないと感じているからだ。
先日(2012年1月)、姉のリクエストもあり、初めて南三陸の被災地に行く機会を得た。まだ自分からは津波被害地を訪れる気持ちにはなれなかったのだが、よい後押しになった。学生の頃から何度も通った地域が、こうも変わり果てていることにショックを受けたが、そんな中でも復興市場が立ち上がり、高台移転の開発を住民自ら先行して始めていたり、たくましい動きに触れて、こうした人たちと、そして声の上がらない人たちとも共にあることができればと思った。

2012年1月の南三陸

姉と訪れた南三陸 2012年1月9日撮影

被災地には、語ること、語らないこと、語れないこと、いずれにしてもそのときの想いと共に、今を生きる経験をさらに重ねる人びとがいる。そのひとりとして、多くの人に寄り添い、また、寄り添ってくれる人に感謝して伝えていきたい。今回の震災で感じたこのような感覚は、地方でクローゼットを生きることを強いられている人や、HIVの感染を誰にも言わずに一人で療養する人に対しても通じるのではとも思う。
何かせずにはおれないと、私たちに手を伸ばしてくださったかたがたが全国に、また海外にもいます。皆さんに感謝しつつ、このようなつながりを、共にさらに広め、深めていけるよう祈念します。

2013年11月寄稿

※このテキストは、2012年2月に執筆し掲載した文章を一部修正しています。
初出:JAPAN レインボー・エイド『ジャパンレインボーエイド2011年度報告書』

■用語について


レインボーアーカイブ東北の「手記」には、耳慣れないセクシュアリティに関する用語がたくさん出てきます。下記のページにて、それぞれのおおまかな意味合いを解説していますので、ご覧ください。

 

レインボーアーカイブ東北による用語解説

さらに詳しい情報については、「性と人権ネットワーク ESTO」ウェブサイトをはじめとするセクシュアリティ関連サイトや書籍などをご参照ください。

■レインボーアーカイブ東北について
レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーなど、多様な性の当事者たちの生の声を集積・記録・発信する団体です。
可視化されていない地方の当事者の存在を広くアピールすることで、違いを認めあい尊重しあう、より生きやすい社会をめざします。
宮城県仙台市を拠点に活動している4団体「東北HIVコミュニケーションズ」「やろっこ」「Anego」「♀×♀お茶っこ飲み会・仙台」が中心となって2013年6月に設立されました。

連絡先:ochakkonomi@gmail.com (♀×♀お茶っこ飲み会・仙台)

※レインボー(虹)は多様な性のあり方の象徴として世界各地で用いられています。

センターについて

せんだいメディアテークでは、市民、専門家、スタッフが協働し、東日本大震災とその復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していくプラットフォームとして「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれン!)を開設しました。

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