「3月12日はじまりのごはんーいつ、どこで、なにたべた?ー」とは
炊き出し、買い物、食卓の風景など、震災時の「ごはん」にまつわる写真を展示し、それらの写真を見て思い出したことや当時の暮らしぶりなどを、来場者に自由にふせん紙に書いてもらう参加型展示です。この展示は、3.11オモイデアーカイブ(当時、NPO法人20世紀アーカイブ仙台)と3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)が協働で企画しました。
▼これまでの展示について
▼「3がつ11にちをわすれないためにセンター活動報告冊子」の解説をよむ
展示されたパネルはカテゴリーごとに分類しています。また、パネルの詳細や展示期間中に来場者が貼ったふせんの様子は、各サムネイル画像をクリックするとご覧いただけます。
カテゴリー
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個人商店
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コンビニ・スーパー
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保存食・支援物資
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炊き出し
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販売
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料理・調理
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行列
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食事風景
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商品
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手書き看板
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その他
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「たいせつな人を失ない食べることなんてどうでもいいと思っていた。」 2011年3月12日 宮城県仙台市青葉区 記録:篠原治樹さん |
「プロパンガスを使っている飲食店は営業を続けてくれましたね。」 2011年3月13日 宮城県仙台市若林区 記録:漆田義孝さん |
「私は子どもが小さく外出できなかったため、近所の人が我が家の分まで卵や肉を朝市から買ってきてくれました。」 2011年3月15日 宮城県仙台市青葉区 記録:篠原治樹さん |
「コンビニやスーパーが使い物にならなかったので野菜などは、普段行かないような個人商店を利用していました。」 2011年3月17日 宮城県仙台市宮城野区 記録:小地沢将之さん |
「サンモールで定期的に開催されてたマルシェのおかげで野菜などを安く入手できました。」 2011年3月19日 宮城県仙台市青葉区 記録:福地裕明さん |
「損得関係なくみんなのために頑張って売ってくれたお店もあれば、牛乳1ℓを300円!!で売ってた路上販売もあった。」 2011年3月21日 宮城県仙台市青葉区 記録:齋藤高晴さん |
「POSレジが使えず、電卓+手書き伝票で対応していただきました。」 2011年3月11日 宮城県仙台市泉区 記録:ぽちさん |
「そのころ私は小5で何もできなかった無力な自分にはらが立ったことがくやしかったです。」 2011年3月13日 宮城県仙台市宮城野区 記録:高橋レオナさん |
地震後初めてコンビニで買い物しました。ガラガラの棚に、発泡酒が一缶ポツンと残っていて、それだけを買いました。」 2011年3月15日 宮城県仙台市青葉区 記録:漆田義孝さん |
「コンビニやスーパーでは棚が倒れたりびん類が割れて散乱しており、店内での販売ができないところが多く」 2011年3月22日 宮城県仙台市青葉区 記録:津川登昭さん |
「西友が24時間営業を再開したときの写真です。17日間もかかった…」 2011年3月28日 宮城県仙台市青葉区 記録:衞藤雅之さん |
「何となく唯一あったポテトチップスとビールをまっくらなホテルの部屋で流しこんだ。まったく酔わなかった。」 2011年3月27日 宮城県仙台市青葉区 記録:伊藤清市さん |
保存食・支援物資
「20年以上しまいこんでいたウェディングのロウソク←巨大!!が大活躍でした。夫婦のキズナも復活!?」 2011年3月11日 宮城県仙台市青葉区 記録:高橋レオナさん |
ペットボトルの水は2ℓ×10本位買い置きがあったが、家族5人ではすぐになくなってしまった。」 2011年3月16日 宮城県仙台市青葉区 記録:ABIKO67さん |
「全国の知人・親せきから色々とどいた。父の友人からは『俺とお前の思い出』という手紙が入っていて、少し笑った。」 2011年3月23日 宮城県仙台市青葉区 記録:芳賀裕一郎さん |
「透明プラのタマゴケースが無くなったので、梱包材を包丁で切ってケースにしていました。」 2011年3月24日 宮城県仙台市青葉区 記録:高橋レオナさん |
「米やカップめんなどありがたかったけど、中には辛いラーメンなど厳しいものもありました。」 2011年4月1日 宮城県仙台市若林区 記録:泉悟さん |
「電気の止まった冷凍庫の中で少しとけた冷凍うどんを、ぬるくなったミネラルウォーターでゆっくり解凍」 2011年4月5日 宮城県多賀城市 記録:namiheiさん |
「やっぱりみんなみかんに何か描きますよね 不覚にも和みました」 2011年3月14日 宮城県仙台市青葉区 記録:Salaさん |
「コンビニ閉店、ガス使えず、電気つかえず。冷たいけれどレトルト食品は貴重な食料源だった。」 2011年4月4日 宮城県多賀城市 記録:namiheiさん |
「白いお米が恋しくなった」 2011年 宮城県多賀城市 記録:namiheiさん |
炊き出し
「提供してくれる方々の気持ちもあたたかったです。」 2011年3月12日 宮城県仙台市太白区 記録:加藤尚美さん |
「私も自分の町内会でたき出しをしました。アルファ米です。」 2011年3月12日 宮城県若林区 記録:三浦廣行さん |
「路上生活者を支援する事ム所に『何か手伝おう!』と思って行ったら、路上生活者が炊き出しをしていて近隣の人たちにふるまっていた。」 2011年3月13日 宮城県仙台市宮城野区 記録:佐藤圭子さん |
「近所の農家の人達が、『米あるからな! 大丈夫だ!!』と…」 2011年3月13日 宮城県仙台市宮城野区 記録:佐藤圭子さん |
「食べ物の次に”フロ”だよなぁ。私、銭湯のお世話になりました。」 2011年3月20日 宮城県気仙沼市 記録:木谷智寿さん |
「今、考えるとどうしてボランティアに行かなかったんだろうって後悔してる。」「←今からでも大丈夫!」 2011年3月24日 宮城県仙台市宮城野区 記録:丸藤克也さん |
「くばるおにぎりには、ふりかけを使うのはやめた方がいい、アレルギーの人にわたると大変になると聞き、目からウロコが落ちた。」 2011年3月24日 宮城県仙台市宮城野区 記録:丸藤克也さん |
「あたたかいことがおいしかった」 2011年3月18日 宮城県仙台市青葉区 記録:髙橋悦子さん |
販売
「どこのお店の人なのかわからない人たちがお弁当を売っていて、私はなぜか買えなかった…。」 2011年3月16日 宮城県仙台市青葉区 記録:齋藤高晴さん |
「サンモールの『すき家』(閉店中)の前で『なか卯』の牛丼弁当を売ってた時もありました。」 2011年3月18日 宮城県仙台市青葉区 記録:小地沢将之さん |
「夕食の弁当探しに、普段は行かない国分町を歩き回ったこともありました。」 2011年3月18日 宮城県仙台市青葉区 記録:小地沢将之さん |
「スーパーに並ぶのは給水に並ぶのと併せて当時の日課でした。」 2011年3月19日 宮城県若林区 記録:小地沢将之さん |
「何が起こるかわからない時期だったので、しばらくリュック、長靴、防寒着(寒かったし)でした。」 2011年3月23日 宮城県仙台市青葉区 記録:村上ゆかりさん |
「超高齢3人世帯でなんとかしのいでいた所に、同じマンションの人が、やさいが手に入ったからと数種類届けてくれた。」 2011年3月24日 宮城県仙台市若林区 記録:佐藤圭子さん |
料理・調理
「ごはんは食べれたけれど、パンが手に入らなくて、食べたかった!パン!」 2011年3月12日 宮城県仙台市泉区 記録:佐藤寛法さん |
「日没までに全ての家事を終わらせなければなかったので、晩御飯は15:30でした。」 2011年3月13日 宮城県仙台市泉区 記録:佐藤寛法さん |
「石油ストーブでごはん・みそ汁・おかず・コーヒー、全て作ってくれた夫」 2011年3月16日 宮城県仙台市宮城野区 記録:足立千佳子さん |
「農家とアウトドアな方は強かったですね!」 2011年3月18日 宮城県仙台市宮城野区 記録:足立千佳子さん |
「ガスが1ヶ月使えず、2台の炊飯器でご飯と煮物など作って食べました。」 2011年3月22日 宮城県仙台市若林区 記録:泉悟さん |
行列
「震災後、はじめて友人と会った場所です。」 2011年3月12日 宮城県仙台市青葉区 記録:漆田義孝さん |
「甘いものはうれしかったなぁ…。」 2011年3月13日 宮城県仙台市青葉区 記録:高橋レオナさん |
「並びながら、他県の救急車をたくさんみて、多くの人に助けられていることを実感。涙でた」 2011年3月17日 宮城県仙台市青葉区 記録:小地沢将之さん |
「勾当台公園まで続くダイエーに並ぶ人々の行列」「雪の中、母と2人でダイエーに6時間並んだ」 2011年3月18日 宮城県仙台市青葉区 記録:北野央さん |
「マルシェで買った干し芋とトマトが大活躍」 2011年3月18日 宮城県仙台市青葉区 記録:藤崎芳之さん |
「どこのスーパーに行列しても必ず、2〜3歳ぐらいのチビッ子さんを連れて並ぶ妊婦さんを見かけました。」 2011年3月15日 宮城県仙台市泉区 記録:髙橋良造さん |
「並んでいるうちに、前後の人達と『大変でしたねぇ』と会話して、仲良くなったり。」 2011年3月13日 宮城県仙台市宮城野区 記録:仙台市 |
「うちの近所の公園には札幌市の給水車が来ました。」 2011年3月23日 宮城県仙台市太白区 記録:仙台市 |
食事風景
「俺の部屋だけ、何日過っても電気が付かない。考えてみたら未払いで止められていたのだ。涙が出た。」 2011年3月11日 宮城県仙台市太白区 記録:笹崎久美子さん |
「そのとき(じしんがあった時)ねてたし、よく分からなかったけど、うちにもどったらてい電してた。」 2011年3月11日 宮城県仙台市青葉区 記録:関口怜子さん |
「普段は5世帯に分かれている家族が、3月11日から約1ヶ月間、同じ家ですごしていました。」 2011年3月12日 宮城県仙台市泉区 記録:河合洋介さん |
「ケーキを食べてやっと本来の自分に(スイーツ大好きなので)戻ったような気がします(笑)」 2011年3月12日 宮城県仙台市青葉区 記録:関口怜子さん |
「食べると少し元気がでた。」 2011年3月13日 宮城県仙台市宮城野区 記録:佐藤圭子さん |
「”生活”をするうえで食べ物・水。トイレ… そして家族がそろう事の大切さを感じたな。」 2011年3月13日 宮城県仙台市泉区 記録:天江真さん |
「ごはんを人と一緒に食べる安心感」 2011年3月13日 宮城県仙台市青葉区 記録:北野央さん |
「日のあるうちにいろいろやっておかなくちゃ!と思ったことを思い出した。」 2011年3月14日 宮城県仙台市青葉区 記録:木谷智寿さん |
「5月時点でも仮教室(たぶん武道館?)で過ごしていたんだ」 2011年5月24日 仙台市青葉区 記録:仙台市 |
商品
「カロリーだけは確保できていたと思います…。」 2011年3月14日 宮城県仙台市青葉区 記録:Salaさん |
「『商品を5つまで』と決められて、両親が買ってきた『ハンバーグソース』!」 2011年3月19日 宮城県仙台市青葉区 記録:小田朋子さん |
「食べるものが全くなくなってしまい。がまんできずにスリッパをかじっていました。マズかったっス(T_T)」 2011年3月20日 宮城県栗原市 記録:津田正俊さん |
「見知らぬ言語で書かれたヤギのmilkを配給でもらいました。」 2011年4月7日 宮城県仙台市宮城野区 記録:佐藤正実さん |
「この納豆が輝いて見えるw」 2011年4月10日 宮城県仙台市宮城野区 記録:佐藤正実さん |
手書き看板
「犬の食べものを手に入れるのに苦労しました。」 2011年3月14日 宮城県仙台市青葉区 記録:阿部真梨子さん |
「給水車がヒーローに見えた」 2011年3月16日 宮城県仙台市青葉区 記録:高橋悦子さん |
「情報源として役立ったのが、このようなメッセージボードでした。」 2011年3月19日 宮城県仙台市泉区 記録:但木和子さん |
「24時間あいているコンビニが、まさか閉まるとは思いませんでした。」 2011年3月21日 宮城県仙台市青葉区 記録:ABIKO67さん |
「その時食べたアボカドがおいしすぎた。それ以来大好物。」 2011年3月31日 宮城県仙台市青葉区 記録:高橋悦子さん |
「ガスはね 来たんじゃなくて日本全国のガス会社の作業員の方がつないでくれたんだと実感した」 2011年4月16日 宮城県仙台市青葉区 記録:柳谷理沙さん |
「あんなに誰かへ連絡した日はなかった。」 2011年3月20日 宮城県仙台市青葉区 記録:加藤尚美さん |
「本当ーに食べるものがなかったので毎日モナカをかいに走ってました。」 2011年4月13日 宮城県仙台市青葉区 記録:佐藤正実さん |
その他
「見知ぬオジさんが部屋にいた。」 2011年3月11日 宮城県仙台市太白区 記録:遠藤瑞知さん |
「買い物に来たというギャル男くんが、『バアチャン大丈夫かなぁ…』と心配していた」 2011年3月12日 宮城県仙台市宮城野区 記録:立石孝紀さん |
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これまでの展示について
[2014年秋]第1回展示
「3月12日はじまりのごはんーいつ、どこで、なにたべた?ー」と題して、全72枚のパネルを展示しました。
期間:2014年10月1日〜11月16日
会場:せんだいメディアテーク 7f ラウンジ
[2015年春]第2回展示
「レコーディング イン プログレス -3がつ11にちをわすれないためにセンター活動報告展」内の1コーナーとして展示しました。
期間:2015年2月20日〜3月18日
会場:せんだいメディアテーク 7f 5番チューブ
他都市での展示
静岡・神奈川・新潟・多賀城ほか、各地のイベントでもパネルが展示されました。
「3がつ11にちをわすれないためにセンター活動報告冊子」の解説をよむ
震災から4年近く経ち、仙台でも震災を語る機会が減ってきているように思えます。おそらく、当時を振り返ることは多くの人にとって容易なことではないでしょう。でも、誰もが非日常の生活の中で困っていた「食」にまつわることなら、被災の度合いに関わらず、何か語れることがあるように思えます。
「3月12日はじまりのごはんーいつ、どこで、なにたべた?ー」(NPO法人20世紀アーカイブ仙台との協働)は、震災時の「食」にまつわる写真を展示し、来場者がそれらを見て思い出した体験や想いを付箋に書いてもらう参加型の催しであり、震災を自分のこととして捉え直すきっかけをつくる試みでもあります。
(2015年2月発行 p106-107)