この記事は、「3月12日はじまりのごはん」の展示期間中に来場者が貼ったふせんやパネルの様子を紹介するものです。展示された各パネルの概要は[いんでっくす]ページをご覧ください。
▼「3月12日はじまりのごはん」とは
▼ふせんのコメントについて
[2014年秋]展示パネル
[パネルに寄せられた来場者のコメント]
写真の内容や場所に直接関係のないコメントもあります。
▷私はケーキを食べました。3/7が妹の誕生日で遅めのケーキを食べた次の日だったので停電で動かなくなった冷蔵庫から出して食べました。
▷ろうそくのたいせつさと、カンパンなど備蓄食品の大事さを知らされました。忘れずに物を大事に大切にしていきます。 あさ
▷会社にとまりこんで震災対応した人は3食カンパンを食べてトイレで体をふいていました(案外カンパンがおいしかった)
▷意外と家の中にたべものがあることに気づいた
▷20年以上しまいこんでいたウェディングのろうそく←巨大!!が大活躍でした。夫婦のキズナも復活!?
▷地震のため地下鉄が動かず、家に帰れず、実家に身をよせていました。近くのモールは3時間まち。毎日手わけして食料をさがしに行ってました。ロウソクでの生活。久しぶりにはじめて見た新聞にのっていた津波の写真にがくぜん… みんなで缶づめをあつめて食べました。
▷最初に食べたのはアメ玉1つとピンポン玉くらいのサイズのおにぎり。避難所でもらったミソパン(カンパン)を1袋もらって嬉しくて! →ただ水ものがなかったので、何度もかんで飲みこみました。(石巻)
▷うちでもろうそくを明かりにしてごはんを食べました。外は星空がとてもよく見えてきれいだったのを思い出します。
▷病院勤務で福島からの患者さんを受け入れるので泊まり。患者さんに同行してきた職員の方が食べるものがなかったのをみて、うちの職員が買っておいてパンとおむすびを差し上げた。お互い様(埼玉)
▷3.11の夜はガスコンロで雑炊を食べました。真っ暗で情報もなく不安でしたがおなかが満たされれば不思議と幸福感を覚えました。何があっても第一に命、第二にごはんだと思います。
▷自宅で買いためていたおかし、缶ヅメ、などなど。一度も炊き出しをもらいに行きませんでした。ガマンガマン
▷友人が泊まりに来た時”何かの時に”とくれたカンパンがとても助かりました。食料はもちろん、空いた缶に大きいロウソクを立てて明かりとして使いました。(お彼岸が近いため大きなロウソクがもらえたのもうれしい)
▷このロウソク、避難先の小学校の教室で使いました。居合わせた他の人たちから安心する明かりと言われみんなでこの明かりを見ながら予震の恐怖もたえました
▷(鍋をローソクで温めるイラスト)我家での毎日は、仏壇のローソク・なべに・水・五徳を置いて・ロウソク6本建てて・皿・コバン+汁≒13日位生活した。
ふせんのコメントについて
この展示には、仙台市内はもとより、沿岸部・内陸部、宮城県内外、国内・海外を問わず、大人から子どもまで、さまざまな立場の方々が来場され、展示された震災時の写真から想起したことを、ふせんに書いてくださいました。ここでは、その寄せられたコメントの原文を、そのまま掲載しています。
[基になった写真]
「ご飯は非常食用の乾パン」*
2011年3月11日 宮城県仙台市青葉区 自宅
記録:高橋レオナさん
*出典:写真集「3.11キヲクのキロク—市民が撮った3.11大震災 記憶の記録—」
発行・提供:NPO法人20世紀アーカイブ仙台
この写真の記録者のエピソードは、次のリンクからお読みいただけます。
【しゃしんときじ】仙台市内の3月11日から4月10日までの様子
「3月12日はじまりのごはん」とは
炊き出し、買い物、食卓の風景など、震災時の「ごはん」にまつわる写真を展示し、それらの写真を見て思い出したことや当時の暮らしぶりなどを、来場者に自由にふせん紙に書いてもらう参加型展示です。この展示は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台と3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)が協働で企画しました。
展示された各パネルの概要や利活用事例等は[いんでっくす]ページをご覧ください。