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『車載映像 仙台市街地から沿岸部への往復90分の旅』アフタートーク 木村グレゴリオ

星空と路 —3がつ11にちをわすれないために—(2023)

2023年3月8日〜12日に開催した「星空と路 —3がつ11にちをわすれないために—」では、最終日の3月12日に、わすれン!参加者による記録映像の上映会を行いました。

13:30からの「車載映像 仙台市街地から沿岸部への往復90分の旅」上映後のトークでは、制作者の木村グレゴリオさんにお話を伺いました。
仙台在住の木村さんは震災後、車にビデオカメラを乗せてその走行ルートを記録する車載映像の撮影をはじめ、その活動を今も続けています。今回上映したのは、震災直後の2011年3月27日に、仙台の市街地から沿岸部に向かったルートを撮影した『車載映像 2011.3.27 仙台—塩釜—仙台港—仙台』という映像です。

未編集でナレーションも解説もなく、車窓の風景がただただ映し出される90分間。画面には映りませんが、時折運転手(木村さん)の気配も感じます。
車は宮城野区銀杏町の駐車場から出発し、国道45号線に出て、普段と大きくは変わらない様子の市街地を進みます。すると少しずつ被災した車が目に付くようになり、沿岸部に近づくにつれて風景が一変します。瓦礫が残る仙台港付近を通り、ふたたび市街地に戻ってくるという映像で、まるで助手席に乗っているような感覚で当時の街並みを眺めるという、すこし変わった鑑賞体験になりました。

上映後のトークでは、このような映像を残した理由について、木村さんの震災後の状況や体験、当時考えていたこと、報道への違和感など、さまざまな切り口から語られました。
もともとは人に見せるつもりもなく、「こういう景色はすぐになくなるだろうから」と、行き帰りのついでにビデオカメラで撮っていた個人的な記録が、図らずもさまざまな人に見られるようになったこと。木村さんはそんな経験から、「撮っておけばいずれ誰かの役に立つかもしれない」と、今も気負わず記録を続けています。

トーク内容全文はこちら⇒ PDFファイルテキストファイル

 

【来場者のこえ】(上映会アンケートより)

・貴重な映像をありがとうございました。当時は仙台にいなかったので、こんな現実があったのは本当に今でも信じ難いです。

・「助手席で見る風景」という感想がしっくりきました。でも、普通ではない風景というところにある種の違和感があって不思議に思いました。

・記録に残すことは大切であると感じました。特に車載カメラ視線は新鮮でした。R45の当時と現在を明確に比較することができました。

・震災直後は外出していないので当時の様子が知れてよかったです。市の市街地に近いところは45号線沿いの左車線は停車している車(ガソリンスタンドの列)で埋まっていますが、沿岸部は被災した車で動かせずという事情なんだなと思いました。途中、被災した車を2段重ねで運んでいる軽トラが左に映っていたり、買い物した荷物を持って歩いている歩行者が映っていたり、救急車の音が入っていたり、当時のことが思い出されました。「この景色が見れなくなるかも知れない」という捉え方がすごいと思いました。

・震災直後の車載映像を10年も経って見られると思わなかった。震災後に仙台に引っ越してきたので、あまり道路について土地勘がないのだが、最初は震災後の仙台が、そこまで被害状況もなく安心して見ていたが、信号のたびにエンジンを切る様や、徐々に道の脇に車が駐車されていたりする風景にハッとさせられた。

・意外に被害が少なかった地域が、人通り、車の通りなど一見普段通りに見えて驚いた。あまりにも沿岸部との対比が鮮明で、当たり前といえばそうなんですが、沿岸部の被害の大きさが際立った。

・仙台市内はあまり変わりない様に見えます。海岸に近い所は津波の爪痕を感じました。意外と車道が整備されていたのには驚きました。ニュースでは車が積み重ねてあったのを見ましたが本当に早く撤去したのですね。

・ラスト30分を拝聴しました。車道はあまり被害がないようで、運転には影響なく進んでいる印象でしたが、沿岸部に向かうにつれ道のそばに瓦礫の山が連なる風景に変わっていき、同じ日本とは思えない様なスラムを連想する町並みが印象的でした。復路で道路上の瓦礫?のようなものに引っかかったようなシーンがあり、もっと被害の大きい地域や被災の直後は運転もできない状況なんだろうと思いました。

・車載カメラの映像→酔った。そして眠気に抗えなかったのが逆にリアルで、道の脇の瓦礫で当時を思い出した。同じところからスタートして戻るというのが「見る側の文法」というのが面白い。同じ様に無目的に映像を残すことがあるので、似たことをされている人がいるというのが興味深かった。

・過去にマスコミで部分的にしか映像を見ていませんでしたが、本映像は被害の惨憺たる連続的に継続しており、ハラハラして見ていました。貴重な映像で記録としては後世に残して今後も多数の方々に公開して広く認識していただける様、今後も広く公開の機会を設定してください。お願いいたします。今後の対策の参考になると思いますから。

・震災の時の風景がよみがえりました。映像に対する説明ができれば欲しかったです。

・月日が経つと発災直後の景色はすぐになくなってしまうので、この様な映像は大変貴重です。ナレーションも解説も感想もないのが、かえって見る側の想像に任せられるので、私はよかったと思っています。

・途中で少しうとうとしてしまったのですが、このような機会に見ることができてよかったです。最後どうなるんだろうと思いましたが、元の場所に戻ってきたことがわかってホッとしました。映像の上半分の切り替わる景色を見てトークを聞きながら、編集しないことも表現の一つになるんだなと思いました。

・3/27の映像ということでしたが、その後5/1~5/7くらいに同じ様なコースで走行しています。約2ヶ月間の変化と、変化のなさと、双方でいくつか気づくことがありました。記録は「比較」があってその意味が立ち上がってくると思います。その時に参照できるものがあるということが、まず大事なことだと思います。(特に最近のことほど意外と復元が難しいので)

・後々誰かが使うかもしれないという映像の記録の仕方があるのかと思いました。ただ、その意図を知らずだと少し退屈に感じました。

・記録を残すということの意義を考えさせられました。

・当時の映像やその時の心情は今後貴重な財産になると思います。

 

【映像紹介】


『車載映像 2011.3.27 仙台ー塩釜ー仙台港ー仙台』 91分

[制作]木村グレゴリオ
[撮影地]宮城県仙台市宮城野区—塩竈市東玉川町—多賀城市港—仙台市宮城野区、国道45号線—県道35号線—国道45号線—県道10号線—県道139号—県道23号
[撮影日]2011年3月27日
[制作年]2011年

※この映像は、2011年に「わすれン!DVD」として発行されたものです。せんだいメディアテーク2階映像音響ライブラリーにて、貸出・視聴サービスをご利用になれます。
※YouTubeで映像の一部がご覧になれます。車載映像 県道10号~仙台塩釜港 2011.3.27

 

【展示紹介】

「星空と路」会期中、メディアテーク1階のオープンスクエアでは、「沿岸部の車載映像」と題した展示を行いました。


中央のモニターでは、震災直後と現在の街並みを並べて比較する車載映像を展示しました。2011年と同じルートを2023年にふたたび走り、震災から12年を経て変化した仙台の風景が記録されています。


車載映像の走行ルートを明記した地図も合わせて展示しました。


会場にて『「沿岸部の車載映像」制作者・木村グレゴリオはかく語りき』という小冊子を無料配布しました。車載映像を記録しはじめたきっかけや経緯について、ご自身の当時の状況や考えを振り返りながらまとめた冊子です。


映像の前で立ち止まり、しばらく見入っている方がたくさんいらっしゃいました。

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センターについて

せんだいメディアテークでは、市民、専門家、スタッフが協働し、東日本大震災とその復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していくプラットフォームとして「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれン!)を開設しました。

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