ごうけいほうもんしゃすう

2011年3月11日から5日間の山元町役場の様子

宮城県の沿岸部にある山元町は、東日本大震災により死者633名、住宅2,217棟が全壊という被害が発生し(2013年3月現在)、津波により町内の24平方キロメートル(町内総面積の37.2パーセント)が浸水しました。
この記録は、当時山元町にお住まいだった佐藤修一さんが震災直後から山元町役場の災害対策本部・避難所の様子をビデオカメラで撮影したものを、ご本人のお話などを基に記事として作成したものです。

この映像は、2011年3月11日16時〜3月15日に撮影されたもので、その内、3月12日早朝までの内容の一部をまとめたものです。

 

以下の画像は、映像の概要を伝えるために、映像からキャプチャしたものです。

■2011年3月11日

15時55分。
山元町役場へ。多くの人が避難してくる。

山元町役場へ避難してくる人々

16時4分、外にテントが設置され、避難してきた人がそこに集まっていた。

山元町役場外に設置されたテントで休む人々

15時56分、防災対策本部。
役場が地震の影響で被害が出たため、外にテーブルを出して対応。

テント内に設置された防災対策本部 テント内に設置された防災対策本部

16時11分。山元町役場は高台にあり、そこから海と町の様子を見る人々。

高台から様子を見る人

海の様子を見た人との会話

女性「うちの方だめだね。水上がったね」

男性「えっ?」

女性「うん、あのね、見える。あそこから」

男性「どこから?」

女性「下のさ、道路の向こうっかわ田んぼあるでしょ? あそこからみんな水浸しだよ。今おしっこしながら上から眺めてた。こっちの山のね……」

16時12分、波が見える。
町が水に浸かっている。

高台から見た海と山元町の様子

19時13分。日も暮れ、本部周りだけライトが点灯。

ライトが点灯した本部周辺

■2011年3月12日

朝、5時36分。防災対策本部より報告。
皆、毛布などを身体に巻きながら聞いている。

防災対策本部の発表

防災対策本部発表

職員「90名避難しておりましたけれども、水がだんだん引いてきて、現在役場職員と中浜小学校教頭2人で坂元中学校までの経路を確認し、もし大丈夫であれば全員いまのところ元気だ、無事だという話も聞いてますので、坂元中学校に移動するということでございます」

 

防災対策本部発表続報

職員「なお、今日は今朝からですね、愛知県などから消防隊が駆けつけて応援に来てくれるという風な情報も入っております。それから5時半には役場職員1名と中浜小学校教頭、中浜小学校には約90名が避難をしておりましたけれども、そのうち何十名か子供がおります。その子供は今、坂元中学校の方に2人の職員が安全を確認すれば、もっと水が引いてきているということですので、坂元中学校に向かうという風な情報が入っています」


5時49分。朝日が昇ってきた。

3月12日の朝日 3月12日の朝日 3月12日の朝日

6時11分、災害対策本部のホワイトボードには、地震発生からの情報が時系列に記されていた。

ホワイトボードの内容

14:46 震度6強(震源地 三陸沖 M8.8 栗原震度7)
14:47 1号配備(災害対策本部設置)
15:20 避難指示
15:57 警察無線に大津波来ていると入電有
15:59 県道相馬亘理線まで津波確認
16:04 津波線路越えている(清掃センター付近まで)
16:34 安住電機まで確認(引きつつある)
16:45 広域水道で配水止めると連絡あり
17:05 津波、高瀬6号線まで来ている
18:20 緊急消防隊援助隊要請

7時34分、撮影者にとっては初めての炊き出し。

炊き出し

8時28分、箸が足りないため、ひとり1本の箸で食べる。

箸が足りないため、一人1本で食べる

10時10分、日中も多くの人が、海と町の様子を見に来ていた。

海と町の様子をみる人々

10時11分。堤防が見あたらず、松林もまばらになっている。

松林がまばらになった海岸

10時21分。役場は高台のため津波の被害は無かったが、陥没や土砂崩れなどの被害はあった。

陥没した地面 陥没した地面

10時33分。近隣の家も瓦が崩れている。

瓦が壊れている家

■2011年3月13日

ベンチで休んでいた人たちと話す撮影者

男性「えー、学堂まで行ってきました。ほんで、線路はめちゃくちゃ、あと原型を保ってない状態だね。そして、残っている家が3軒くらいだね。それで笠野から南っかわを見ると、もうなんつーんだや? 何もなくてのっぺらぼうになってわ、火発(相馬共同火力発電株式会社新地発電所)の煙突が見えるだけ。あと北っかわの方は比較的大丈夫だね」

撮影者「堤防はこっから見ると松の木がぽん、ぽんと残ってるだけだども、堤防は壊れなかったんでしょうか?」

男性「堤防はだめ」

撮影者「だめ……何か所くらい決壊したかもわがんねぇっすか?」

男性「だめだね。海がすぐ見える状態だね。とにかく困ったもんだね」

女性「だったら大変ねぇ」

7時12分、炊き出しに並ぶ人へ、ボランティアの男性が本部の発表を伝える。

炊き出しに並ぶ人へ本部発表を伝える人

男性ボランティア「……駆けつけてくださいました。もう今朝から既に動いて救出活動に入っております。名古屋市消防局と自衛隊、警察、そして消防団と、そういうご協力のもと救出活動に入っております。まだ水が引いておりませんけれども、その、道路にすごい流木があってですね、中々進めないような状況です。木を切りながら東の方に進んでいるという作業で大変困難な作業となっております。したがいまして国道6号線よりも…あっなんか落とされましたよ。国道6号線よりも東の方には行かないようにお願いします。救出活動優先でございます。主だったところ、東の方に進んで鉄道の前後を今日救出活動をする予定になっております。

新しく仮設トイレを増設いたしました。資料館の南側に6機、それから公民館の西側にも6機準備いたしましたので、今水を入れる作業をこれからやります。そのあとにどうぞお使いください。よろしくお願いします」

 

11時10分。避難所の各部屋ごとに、災害対策本部での発表など、さまざまな情報を伝えることになった。

各部屋ごとの発表

13時32分。本部周りでの発表を確認しに来る人も、以前よりは少なくなった。

防災対策本部の発表

11時26分。役場から少し離れた道路。
所どころ隆起している。

隆起した道路

11時57分、町を望む。前日よりも水は少しずつ引いてきている。

町の様子 町の様子

■2011年3月14日

部屋での発表

男性ボランティア「本部からの連絡をします。携帯電話は一部繋がるようになりました。ですが、皆さんの持っている携帯電話の電池の量は少なくなっていると思います。ですから同じところにある送信塔に送られた場合に電気の多い方が先につながっちゃいます。そういうこともあります。ですから、一部携帯電話が使えるようになったということだけのご連絡をします。

それから残念ながら、9時半の発表で、県内で640名の方がお亡くなりになられたという発表がありました。それでまだ2000人くらいの方が行方不明という情報の発表もありました。

それと道路の件なんですが、昨夜まで田園からストップで東街道の方に迂回道ができちゃいました。それが今朝9時30分にまっすぐ行けるようになったそうです。それで一部、新地で片側通行になっているということでございます。

それと給水車。今朝福岡から来ましたということ。それから自衛隊さんも来まして、大体給水は充分に各避難所で対応できますというお話でした。それで、今朝のお話で私、27時間というお話をしました。ところが27時間というのは、福岡から来た人たちがとりあえず山元へ来るために勤務の途中に準備をしまして、10時間くらい走って仮眠をしたらしいんです。その仮眠した所から27時間と教えていただきましたので、実際には、40時間くらいかかってね、この山元の私たちのために給水のボランティアとして来てくれたということを心に留めておいていてください。
はい。それと何人かの方から切手のお話ありましたよね。山下郵便局も開いておりません。中浜も開いておりません。浜吉田の簡易郵便局も開いておりません。それと、○○で民間として切手を預かっていただいているのですが、ここも閉まっているそうでございます。ですから今確認してもらっているのは、亘理郵便局が開いているかどうか。っていうのは警察に確認しましたら、6号線の警察のところから亘理郵便局までは行けるらしいです。ただ、郵便局が開いていなければね、せっかく行ってもガソリンなくしちゃうだけですから、もうちょっと待ってください。その確認をしております。それと薬局さんで、アイユーの隣に薬局ありますよね、それからスズキ薬局さん、それとタケダさかな屋さんが今日開いたそうでございます。

そういうことが10時30分に発表となった情報でございますが、その中でもくれぐれも6号線から東側の方には行かないでください。それと車の盗難事故がありますので必ず施錠の方をしっかりしていただきたいです」

13時21分。掲示板に張り出された情報を多くの人が見ている。

掲示板を見る人々

14時44分。今日、ご夫婦が救助されたとの報告。

生存者の報告

ベンチで休んでいるおじさんたちの会話

男性A「したっけ、水引いてきたんだねや。して、そのあとだね、おれ寒くてわよ、寒くて震えてここまで来て、この、水あっとご。(手で胸まで水に浸かったことを示す)、北さ向かったつもりが南さ向かってたんだがらなや」

男性B「○○さ泳いだと思ったっけ、こっちゃ泳いだんねえさ。んだ方向わがんねんだべや、やっぱ水ンなってっがら」

男性A「そしたっけよ、ちょうどドアあいったんだわ、前の車。だがらここんとっがら入れてもらって、2階さ上がって過ごしたっちゃ、その晩。そすて、おかしいねど思ったんだ。なんぼ考えてもよ、○○の家、こう、水迫るんだねえよ。タカオさ居たのにこんな近くになるもんでねえって。なーんかいも考えたんだぞ。ほんでもわかんねえんだねや。朝になっても。そしてよ、よく次の日見てよ、誰かペンキ屋さんの人たちだねや。ペンキのあれいっぱい付けたペンキ屋さんだと思うんだ。ケンちゃんさ、最初声かけらっだの。おれメガネ吹っ飛ばさったから誰だか見えねっちゃわ。だから『誰だー?』って声出したらケンちゃんだった。最初に見っけだの。『長靴ねえかや?』って。裸足だったから。なんにもねえから。したっけ、ペンキ屋さんたち通っていたんだっけ。おれ『履くものねえんだけっども、何かねえかや?』って聞いたの、『今履くものなんてねえがらわ』つってわ。おれ泥道だど震え来たんだからわ、寒くてわ……」

■2011年3月15日

10時11分。近隣の住宅から分けてもらった衣類の配布会。ひとり5点まで。

衣類配布会の様子

衣類配布会の案内

男性ボランティア「こちらの衣類なんですけれども、周辺住民の方々とか、色んな方からですね、ご提供いただいた衣類になります。種類がいろいろありますので、ご希望に応ずるものがあるかどうかわからないんですけれども、衣類に不足している場合とか、そういう方ですね、保健センター前で配布いたしますのでそちらの方に行っていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。あと今後ですね、また衣類がたまりましたらこういったことをお知らせいたしますのでよろしくお願いいたします。以上です」

衣類配布会の様子

 

掲示板には、「盗難注意」「遺体安置所へのバス時刻表」「尋ね人」「ボランティア募集」など、いろいろな物が張り出されていた。

10時15分。
遺体安置所行きバス H23.3.15 役場正面玄関前発
(1)9:00 (2)10:30 (3)12:30 (4)14:30 (5)16:00

掲示板に張り出された紙「遺体安置所行きバス」

10時16分。
衣類を配布します。
3/15 10:00~保健センター前

掲示板に張り出された紙「衣類を配布します」

10時16分。
避難所開設状況
1、八手庭多目的センター 2、山下第一小学校 3、山下第一中学校
4、少年の森 5、山寺生活センター 6、浅生原公会堂
7、高瀬多目的センター(やまと幼稚園) 8、合戦原学堂 9、坂元支所
10、坂元中学校 11、久保間生活センター 12、上中老人憩の家
13、宮城病院 14、真庭区民会館 15、役場 16、福田小学校(新地)

掲示板に張り出された紙「避難所一覧」

10時16分。
山下中学校 坂元中学校 「受け入れに余裕があります」

掲示板に張り出された紙「坂元中受け入れ余裕あります」

10時16分。
避難場所見取図

掲示板に張り出された紙「避難所見取り図」

10時16分。
館内のトイレは流れないので限界です(下水づまり)。外トイレが完備されましたので、そちらを使用するようお願いします。

掲示板に張り出された紙「避難所見取り図」

10時16分。
津波が発生する恐れがあります。自宅には戻らないでください。

掲示板に張り出された紙「津波注意」

10時16分。
車両の盗難や車上荒らしが多発しています。必ず施錠を確認するようにお願いします。

掲示板に張り出された紙「車両盗難注意」

10時17分。
仮設トイレ設置場所
(1)公民館南 (2)資料館わき

掲示板に張り出された紙「仮設トイレ設置のお知らせ」

10時17分。
中公避難所ボランティア募集

掲示板に張り出された紙「ボランティア募集」

10時21分。
海外メディアも取材に来ていた。

海外メディアの取材風景

10時28分。
掲示板には新聞も張り出されていた。

掲示板に張り出された新聞

10時34分。
食料庫。

食料庫

10時9分。
避難してきた住民が、自主的に清掃などを行っていた。

ボランティアによる清掃

※本記事は、資料的価値の観点から、基となる記録映像から起こした画像や音声、テキスト等を交え、映像記録に含まれる震災当時の様子を少しでも多く伝えることを目指したものです。記事の作成および公開にあたっては、著作権をはじめとする諸権利につきましても可能な限り配慮しておりますが、万が一お気づきの点などございましたら、当センターまでお知らせください。

 

月別アーカイブ

センターについて

せんだいメディアテークでは、市民、専門家、スタッフが協働し、東日本大震災とその復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していくプラットフォームとして「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれン!)を開設しました。

3がつ11にちをわすれないためにセンター
(せんだいメディアテーク 企画・活動支援室内)

〒980-0821 宮城県仙台市青葉区春日町2-1

TEL 022-713-4483

Copyright © 2024 sendai mediatheque. All rights reserved.