語り手:衞藤雅之/進行・聞き手:佐藤正実さん(NPO法人20世紀アーカイブ仙台)
■ダイエーに並ぶ行列
[衞藤雅之さん(以下、衞)]仙台市中心街にあるスーパーでは、最も早く、ダイエーが開店していました。再開当初は青葉通りから定禅寺通りまで列が続いていました。震災生活=並ぶことのような感じでした。よく「海外では『日本人は辛抱強く、被災地でも整然と生活している』と賞賛されている」というニュースを見ましたが、この行列を見て「まさにその通りだ」と思いました。
■露店街となった一番町四丁目商店街
[衞]アーケードには露店が戦後の闇市のように出店していました。この写真はお寿司やさんの前で、ちらし寿司や巻き寿司などを売る様子です。向かいの路上では生鮮魚を売っていて驚きました。この通りにある老舗果物店は、震災の翌日も販売をしていたかと思います。戦後にタイムスリップしたかのような不思議な感覚とともに、今も変わらぬ商店の皆さんの逞しさを感じました。
■雨水をため生活用水に
[衞]アパートの大家さんの計らいで、壊れていた雨樋にホースを繋いで、子ども用プールに雨水を貯めて、生活用水として使うことができました。我が家は八木山にあるため、水道もガスも復旧は最後のほうでした。写真の雨水はとても役に立ちましたが、足りないときは麓の公園まで汲みに行きました。背負子で18kgを背負って、片道30分の山登りでした。
■マンガ雑誌の回し読みができる書店
[衞]ツイッターで、震災のため、入荷がない雑誌を全国の方々が送ってくださったマンガ雑誌を回し読みできる書店があるという情報を得ていたのですが、たまたま通りかかった本屋さんの張り紙を見て、この場所だったのかと思い撮影しました。学校が避難所になったため長期の休校が続く中、また余震が続きストレスが溜まる中、子供たちのささやかな愉しみになったのだと思います。こののち、この店で回し読みされた一冊は「伝説の少年ジャンプ」として語られることとなりました。
■津波で倒れた木と桜花
[衞]田んぼの中に、津波で倒れた木と、それに被さるようにして桜の木が倒れていたのですが、綺麗に花が咲いていました。この田んぼに溜まっているのは大津波の海水です。折れても、海水を吸っても、過酷な環境の中でも命を繋ごうとする逞しさを感じました。現地を訪れて直接感じることの重要性を教えられ、私にとって転機となった光景です。
*この記事は、2012年7月3日に仙台国際センターで行われた『3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト公開サロン「みつづける、あの日からの風景」』で、衞藤雅之さんがお話された内容を元に作成しています。
【3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは】
このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定期的に行っていきます。これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。
NPO法人20世紀アーカイブ仙台
公式Web:http://www.20thcas.or.jp/