語り手:梨本太一/進行・聞き手:佐藤正実さん(NPO法人20世紀アーカイブ仙台)
■信号が消えて渋滞中の愛宕上杉通
[梨本さん(以下、梨)]これは私の職場の前で撮った写真です。ちょうど勝山館の向かい辺りで、カメラは南側に向かってます。暗くなってるところは勝山館やNTTのビルが普段だったら見えている場所ですね。停電で、信号も消えてしまって、渋滞を引き起こしているような感じです。ブレーキランプが闇の中に、ずらっと並んでいるのがすごく印象的というか、なんか不思議でした。一切の光がなくて、この赤い光だけがあるような異様な感じでした。ところどころ発電機がついている信号機は動いていたのですが、その他は全部消えてしまっていたので、よく事故が起きなかったと思いました。
■ろうそくをつけラジオを聞く。余震に怯える不安な夜
[梨]自宅では電気が来るまでの一週間以上、ずっと写真のような感じで過ごしてました。全く情報を得るものがなかったので、避難袋の中にあったラジオを探し出して、それを聞きながらろうそくの明かりで食事をしていました。よく災害の時のためにインスタントラーメン等を備蓄しておりますが、ライフラインが寸断されて水もガスも電気もないような時は、お湯も用意できず、調理が不能になってしまいます。それならばレトルトカレーなどの方が、冷たくても食べることが出来る点で災害時の備蓄食料として最適だということに気がつきました。
[佐藤さん(以下、佐)]震災が起きた3月11日の14時46分から一時間の間に、マグニチュード7以上の地震が3回起きていましたよね。記録を見ると、一ヶ月間の間に262回も、マグニチュード5以上の地震があったんです。会場にいらっしゃる皆さんもそうだったと思うんですけども、落ち着いたかなと思うとすぐに地震があって、余震に怯える本当に不安な夜を過ごしていました。そしてこれからどうなるのだろうとも思った。その時の気持ちが、この写真を見るとすごく良く伝わるなと思いました。
■国道45号線沿いのお土産物屋さんが後片付け
[梨]この写真は、松島グリーン広場の前の観光客向けのお店などが並んでいるところです。メインの通りっていったらすぐ分かりますね。島に波がぶつかってけっこう力は分散されたようなんですが、道路は泥をかぶってすごく汚い状態でした。しかもその道路が普通の道路じゃなくて、ねちょねちょっとくるような感じの、今までこういうのは見たことがないという状態になっていました。この辺は比較的被害はなかったと言われている場所なんですが、やはりお店はかなりダメージを受けて、泥で商品がぐちゃぐちゃになったり、自動ドアのガラスが割れてたりしていました。この辺の人は、傍にある瑞巌寺に避難して、門の辺りまで波が来たという話でした。地震が来たら波が来るということを分かっていたからこそ、すぐに逃げ込んで、助かったという人が結構多かったと聞きますね。
[佐]この写真を撮ったのが3月13日ということは、震災翌々日ですが、松島へ撮影に行けたのはどうしてですか?
[梨]ちょうど、仕事でこちらの方に行かなきゃいけないことがありまして。被害がひどい南三陸町などは報道されていたのですが、仙台市近郊の松島、塩竈、多賀城のあたりはあまり記録されていない場所だと聞いて、その辺を重点的に回ってみました。
[佐]意外と松島は、島々が守ってくれて津波の被害が少なかったという風に言われていますが、建物自体は確かに残ってはいるけども、実際にどんな被害があったのか、こういう写真を見ないと分からないですよね。
[梨]そうですね、この時、店の中で片付けをしてる店員さんを見たらすごくうなだれて、泥かきをしたり、もう売れなくなった商品を山積みにしてたりしていました。本当にかわいそうというか、なんて言うんですかね、寂しそうな感じですかね。本当だったら、金曜日に地震がありましたから、この日なんて、日曜日で観光客でにぎわっているはずなんですよね。
■職場で余震、緊急地震速報が流れる
[梨]この時は確か誤報だったんですが、こういうことが頻繁にあって、あの音はもう二度と聞きたくないと思いました。山形で強い揺れといったら宮城で起きたり、本当に訳の分からなかった時期、緊急地震速報を信用できなかった頃です。速報が来ても、地震が来るかどうか分からないので、カメラを近くに置いておいて、いつでも撮れるようにしていた時に撮った写真です。
[佐]これは携帯で撮ったんですか?デジカメで撮ったんですか?
[梨]デジカメです。震災後はよくデジカメを持ち歩いていて、今はスマートフォンを持ち歩いていてそれで撮っています。必ず何か撮れるものを手元に置いておくという癖が昔からあるかもしれません。
[佐]撮られた写真はどのようにしていますか?
[梨]NPO法人20世紀アーカイブ仙台に提供したり、自分のパソコンに保管したりしています。一時期ブログをしていたのですが、そこで地震直後は交通が寸断している場所の写真を載せて、情報発信をしていました。奥松島に住んでいる人から、「塩竈の国道がもうダメになっていると、ブログの写真を見て分かったので迂回して行きます。」というメッセージを頂いた時は、すごく嬉しかったですね。
[佐]そういう風に役立っているんですね。
■鉄骨のみとなった防災庁舎
[梨]この写真は南三陸町の防災庁舎です。震災からけっこう日にちは経っているんですが、全く手つかずで、この周りも瓦礫だらけで、どこに何があったのか分からない状態ですね。南三陸町には個人的に何度も遊びに行っていて思い出の場所だったんですけが、全て思い出の場所がなくなってしまいました。ただただ呆然としてしまいましたね。
■国道398号線に横たわる漁船
[梨]女川の内陸の方で、大きな漁船が国道を塞いでいました。それだけ津波の力がすごかったということを表している写真ですね。その他にも、三階建てくらいのコンクリートのビルが、基礎部分を横に向けてひっくり返っていたり、そんなものがその辺り一帯にあって、ちょっと信じられないような光景でした。
*この記事は、2012年9月22日にせんだいメディアテークの考えるテーブルで行われた『3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト公開サロン「みつづける、あの日からの風景」』で、梨本太一さんがお話された内容を元に作成しています。
当日の様子はこちらからご覧いただけます。
《考えるテーブル レポート》→http://www.smt.jp/thinkingtable2012/?p=1599
【3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは】
このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定期的に行っていきます。これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。
NPO法人20世紀アーカイブ仙台
公式Web:http://www.20thcas.or.jp/
【考えるテーブルとは】
人が集い語り合いながら震災復興や地域社会、表現活動について考えていく場を「考えるテーブル」と題して、せんだいメディアテーク、7階スタジオに開きます。トークイベントや公開会議、市民団体の活動報告会など多様な催しを行っていきます。