語り手:津田正俊さん/進行・聞き手:佐藤正実さん(NPO法人20世紀アーカイブ仙台)
■国道4号の一部が崩落
[津田さん(以下、津)]私の写真なんですけど、全て栗原市内の写真になります。栗原市は、最大震度7を記録した地域なんですが、沿岸部に比べて大きな被害の見られなかった地域ではあります。ただ、実際に暮らしている地域では、こういった被害は出ておりました。これは3月11日翌日の写真です。私が勤務する工場に向かう途中、国道4号線沿いの道路になります。前日はもっとひどかったんですけど、12日には土嚢って言うんですか、そういったものが置かれていて、随分手が早いなという印象を持ったので写真を撮影しました。このときは、日本でどういうことが起きているかということは、あまり良く分かっていない状態で、なんとなく撮りました。
■商品が不足しているコンビニエンスストア店内
[津]こちらも12日のコンビニの様子になります。おそらく仙台市内でも同じように、コンビニ等では物が全く無くなってしまった状態であったとは思うんです。私自身、こういった光景を見ること自体が初めてで、衝撃を受けて撮影しました。
[佐藤さん(以下、佐)]津田さんは、さっきなんとなく撮ったって話されていましたが、結構当日から写真撮られてますよね。
[津]震災当日は、うちの会社の入社式を行う予定だったので、ちょうどカメラも持っていたという理由もあるんですね。市役所の会議室を借りて入社式を行う予定だったんですが、地震の後、市役所に行ってみるととんでもない人数が給水車に並んでいる。「何が起きているんだろう」「これは記録しておいて後々友人たちにでも見せることができたらな」という風に思って撮った写真でもあります。
[佐]津田さんは元々記録写真というのは撮るんですか?
[津]基本的にはそんなに写真を撮る方ではないのです。実は私、この震災が起こる3、4ヶ月前に宮城に戻ってきたばかりで、友人たちが他県に多いという状況でした。こういった現地の様子を友人たちに見せたいなという風に思ったというのも理由のひとつですね。
[佐]じゃあ震災後は、写真を撮って、例えばブログとかにアップして、友人たちからの反応っていうのはかなり大きかったですか?
[津]そうですね、友人たちからはもちろんなんですけど、地元が栗原で、仕事で日本各地転々としている方たちから、ブログのコメント欄等で沢山のコメントをいただきました。心配してくれてありがたいなと思いましたし、できるだけこっちは情報発信をしなくちゃいけないんだなという想いを、強く抱きました。
■品切れが続いていた卵も、徐々に買えるように
2011年3月20日 宮城県栗原市
|展示「3月12日はじまりのごはん」で利用しました|
[津]これは、日数がちょっと経ちまして、それまで閉じていたスーパーがやっと開いたと。スーパーが開いたので、まず食料を買いに行ったのですが、卵がもう置いてあって、「こんな物がもう買えるんだな」と、そういった嬉しい気持ちから撮影した写真になりますね。あのころは本当に物がなかったので、納豆が買えたとか、卵が買えたとか、牛乳が買えたとか、そういう風なレベルでありがたみを感じる、そう言った生活を、おそらく皆さん同じような想いは抱かれていたと思いますけれども、そういう所から撮影した1枚になりますね。
[佐]津田さんはこの時もうずっとカメラは持ち歩いていたんですか?
[津]この頃は確かもうブログを開設していたと思うんですよね。そういった色々なコメントを頂いて、先ほど言ったようにですね、自分のできること、なにかやっていかないと、というところで、情報発信、今こういう状況だよ、っていうところを伝えるためにですね、撮影したというところになります。
■前日の余震で再び給水所に並ぶ人々
[津]これは、4月7日の余震の翌日ですかね。役所の給水車に並ぶ人たちの様子になります。2回目ということもあって割と混乱したような様子は見られなかったのですけど、停電や断水したという事実や現実を、情報発信していかないといけないなというところで、撮影した1枚になります。
[佐]栗原市の震災直後、それからその後の様子を全て撮影していただいたということで、次の2種類の写真も解説をしていただけますか。
■歩道から飛び出たマンホール
[津]これは栗原市の若柳地区という場所の風景になります。上が2011年3月、下が最近のものになります。上のマンホールの状態を見た時には「なんだこれは」という印象で、これは記録を残しておくべきだろうというところで撮影した1枚になります。この若柳地区は割と地盤が弱いのか、マンホールが飛び出しているところが数ヶ所あったり、地割れをしている所が結構あって、結構な被害があったという印象を受けている地域です。下はすっかりマンホール自体撤去され、最近では砂利ではなくきちんと舗装されたような状態になってました。定点観測っていう観点で言うと、物自体が無くなってしまうと、比べること自体が難しくなる。あとは文書で説明をしていくというような形で進めるのが、その手法になるのかなという風な印象は受けています。
[佐]写真だけじゃなく写真の説明、そういったものも含めて変化していく様子を伝えていく、そういうことですよね。もう1枚いいですか。
■進む国道4号沿いの崩落箇所修復工事
[津]これは一番最初に見ていただいた写真の場所が、時々刻々と復旧されていく様子を記録したものになります。定点観測に関しての考え方なんですけど、私は記録をしていくこと自体が仕事ではないので、日々の生活の中での撮影ということになる。ここの場所は私が日々通る道だったので撮影することができた。やっぱりそういう風な状況だと、無理は続かないというか、そういったところもあるので、皆さん一人ひとりの方々が、ここは記録して行きたいなというところを自分の中で決めて、無理の無い形で撮影を続けていく、それが結果として定点観測につながっていければいいんじゃないかと考えています。
[佐]ありがとうございます。定点観測、冒頭にご紹介しました、去年どんな活動をしてきたというところで、いつ撮るのか、どこを撮るのか、という話をしてきたという時に、今仰ったように、あまり無理せずに、例えばいつ撮るか決めなくてもいいんじゃないか、どこを撮るかといっても、わざわざ車で出かけなくても自分の身の回りを撮り続けるということでも十分定点観測になるんじゃないか、という風な意見があった。今はそういったことでのご説明になったのではないかと思います。
*この記事は、2013年4月30日にせんだいメディアテークの考えるテーブルで行われた『3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト公開サロン「みつづける、あの日からの風景」』で、津田正俊さんがお話された内容を元に作成しています。
当日の様子はこちらからご覧いただけます。
《考えるテーブル レポート》→http://table.smt.jp/?p=2846
【3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは】
このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定期的に行っていきます。これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。
NPO法人20世紀アーカイブ仙台
公式Web:http://www.20thcas.or.jp/
【考えるテーブルとは】
人が集い語り合いながら震災復興や地域社会、表現活動について考えていく場を「考えるテーブル」と題して、せんだいメディアテーク、7階スタジオに開きます。トークイベントや公開会議、市民団体の活動報告会など多様な催しを行っていきます。
|記録の利用事例|
3枚目の写真は、展示「3月12日はじまりのごはん」で利用しました。
来場者がこの写真を会場で見て、想起したエピソードを下記のリンクからお読みいただけます。
49 「食べるものが全くなくなってしまい。がまんできずにスリッパをかじっていました。マズかったっス(T_T)」