自分にとっての大きな転換点となった東日本大震災。
自宅に引きこもりがちだった自分が、みんなにライフライン情報を伝えたい一心で、本格的にネットでの信を始めた。そのころTwitterに上げていた写真とともに、当時の日々を振り返ってみる、その食生活編。
自分が住んでいた多賀城市は、津波で大変な被害を受けているのに、小さな自治体ゆえ、しばらくの間その状況がまったく報道されなかった。なので各地からの支援物資は多賀城市内を通過して全て石巻市へ行ってしまう。もちろん石巻も満遍なく物資が行き渡っていたわけではなく、地区によっては足りていないところもあったようだが、総じて石巻のほうが物資は豊富だったように感じた。多賀城ではお店もやってないし、避難所に行くという選択肢もとれず自宅避難者になっているから配給も来ない。しかたなく食糧など必要なものは、やはり被災している石巻の実家まで行き、支援物資をさらに分けてもらってしのぐという生活が続いた。
◇写真でたどるnamiheiさんの震災体験《震災当日からのこと》
■ぬくもりと安心に出会えた!
「まるまつ」が提供したメニュー
2011年3月25日 宮城県仙台市宮城野区岩切
半月後、和食ファミレス「まるまつ」が限定メニューで営業を再開した。「ここに水とガスがあるんだ!」と思えて、本当に嬉しかった。
■カレーなる日々は続くよ
支援物資はカレー:その1
2011年4月4日 宮城県多賀城市
多賀城をスルーして石巻に届けられてしまう支援物資を、石巻の実家に行くたびに持たされて多賀城に戻る日々が続く。そして支援物資はカレーばかりだった。おかげで、カレーは嫌いなのに当時のメニューは連日カレーになった。物資を送っていただけて本当に心から感謝しているのだが、そして、勝手をいうようで申し訳ないけど、でも非常時であっても苦手なものは苦手なので、連日ブログ等で「カレーしかないのか」とぼやいてしまっていた。ごめんなさい。で、この日は『帆立カレー』。
支援物資はカレー:その2
2011年4月5日 宮城県多賀城市
この日は『旨味工房ビーフカレー中辛』。うどんにしてバリエーションを出すが、やはりカレーはカレー。
支援物資はカレー:その3
2011年4月7日 宮城県多賀城市
さらに翌日ももちろんカレー。うどんだが、カレー。この日は『カレー職人中辛』。
支援物資はカレー:その4
2011年4月9日 宮城県多賀城市
全国各地から支援物資が届くのに、食糧といえばどこもカレー。いや、ほんとにお気持ちは嬉しかったんです! でも、つらい。この日は『黄金豚カレー』。
■知られざる支援物資の世界
どの袋をどのタイミングで入れるべき?
2011年4月20日 宮城県多賀城市
この頃になると、支援物資が世界各国から届くようになる。しかし心情はみな一緒、国を越えてご支援くださった方々にはちょっと申し訳ないことだが、読めない外国語で書かれている支援物資は中身や説明がわからないので手を出しにくい。避難所では高齢者率が高めなこともあって、英語・中国語など見当のつきやすい物資から無くなっていく。自分のような自宅避難者は、支援物資の、さらに残り物をもらうしかなかったので、結果的にそうした「ナゾ」の食品をいただくことも多々あった。写真はタイのカップめん。調理方法はわからなかったが、とにかく付いて来た小袋の中味を全部入れて作ってみた。食べてみると、とてもおいしかった。
自衛隊戦闘糧食も登場
2011年 宮城県多賀城市
これも実家からもらって来た一品で、カーキ色の缶に入った自衛隊製の「たくあん漬」の缶詰。中身は分厚い輪切りになってて、とにかく一切れがデカい。昆布と唐辛子も入っていた。当時は野菜が出回らずなかなか買うこともできなかったので、こうした物資はありがたかったと思う。自分は実家から持ち帰って1年後ぐらいに食べた。味は普通。
■1カ月が経って
4.11半額の梅酒を買う
2011年4月11日 宮城県多賀城市
訳ありで安くなってた梅酒。ワインとかが染みててパッケージはベタベタ。当時のスーパーでは、震災前ならまず売らないような、外装に難あり商品も、中身が無事なものは半額とかでワゴンセールしていた。見かけて迷わず買った。あとになってこの写真を見返した時、「震災から1カ月なのに、自分、酒買ってたんだ! 自分、クズ!!」と思った。
※この写真は2013年にNPO法人20世紀アーカイブ仙台と共催した写真共同募集プロジェクト「ケータイで撮った『3.11』はありませんか?」でご提供頂いたものです。
※namiheiさんの震災体験の手記やその他の写真は下記をご覧ください。
◇namiheiさんの震災体験《手記:「セクマイ被災者」と呼ばれて》
◇写真でたどるnamiheiさんの震災体験《震災当日からのこと》
|記録の利用事例|
2、3、7枚目の写真は、展示「3月12日はじまりのごはん」で利用しました。
来場者がこの写真を会場で見て、想起したエピソードを下記のリンクからお読みいただけます。
16「電気の止まった冷凍庫の中で少しとけた冷凍うどんを、ぬるくなったミネラルウォーターでゆっくり解凍」
59「「コンビニ閉店、ガス使えず、電気つかえず。冷たいけれどレトルト食品は貴重な食料源だった。」
60「白いお米が恋しくなった」