ごうけいほうもんしゃすう

当時、Twitterで発信していたこと、あれこれ(1)

写真でたどるnamiheiさんの震災体験《震災当日からのこと》

自分にとっての大きな転換点となった東日本大震災。
自宅に引きこもりがちだった自分がみんなにライフライン情報を伝えたい一心で、本格的にネットでの発信を始めた。そのころTwitterに上げていた写真とともに、当時の日々を振り返ってみる。

写真でたどるnamiheiさんの震災体験《食生活編》 

■直後の混乱と不安のなかで

3.11前日と当日の日記

前日と当日の日記

2011年3月11日 宮城県多賀城市

それまで日記なんてつけなかったのに、気持ちを落ち着かせるために書き始めた。これは前日と当日のページ。今見ると、何を書いてるのか自分でもよくわからない。当時の混乱ぶりが現れている。


知り合いのアパートに荷物を取りに。泥棒出るって聞いたから。

水が引いた多賀城市街地

2011年3月15日 宮城県多賀城市桜木

津波でも甚大な被害を受けた多賀城市でやっと水が引いた。街の至る所に流されて来た被災車両があり、その中には、まだご遺体が残っていた頃。恐ろしくて本当は出歩きたくなかったが、空き巣が頻発していると聞いたので、知り合いのアパートに布団と食糧を取りに行った。このあとしばらく写真が撮れなくなった。


■とにかく水には苦労した

雨水を貯めようとしたら雪降った

雨水をためるためシートを張る

2011年3月16日 宮城県多賀城市

生活用水が足りなくて、水を確保しなくてはと同居人がノイローゼ気味になっていた。シーツくらいの大きさの梱包材「プチプチ」シートを広げて、雨水を貯めようとしたら雪が降った。シート上の白いのが雪。結局、雨水は1滴もたまらず、この雪を融かして使う。トイレ2回分ぐらいになった。


きれいな水はクーラーボックスで保管

調理用水はクーラボックスで保管

2011年4月13日 宮城県多賀城市

1カ月を過ぎてもまだ上水道が復旧しない。きれいな水はクーラーボックスで保管して飲料・調理用にしていた。


汲んできた水は湯船に備蓄

湯船に生活用水を備蓄

2011年4月21日 宮城県多賀城市

やっとの思いで汲んできた水は、湯船に貯めていた。余談だが、地元多賀城市の給水車からはついに一度も給水を受けられず、たいていは隣の仙台市の小学校まで徒歩で通って分けてもらわなきゃならなかったのはこたえた。そして1カ月もそれをやっていると次第にサビなどの沈殿物が底にたまる。後日、水道が使えるようになってから湯船を洗ったが、この汚れは落ちなかった。


■復旧への途

資源物回収箱は奈良市からのご支援!

奈良市の資源物回収箱

2011年5月6日 宮城県多賀城市

家庭ゴミ収集用の車両も資源回収用の分別カートンも津波で流失していた多賀城市。なので、友好都市である奈良市から収集車や資源回収箱を提供してもらっていた。


ドラッグストアも天井を直さないまま営業

天井が崩落したまま営業しているカワチ薬局

2011年5月17日 宮城県仙台市宮城野区岩切

2カ月過ぎても天井が崩落したままの「カワチ薬品岩切店」店内。震災前だったら、安全優先でいったん休業し、改修が完了してから再開したんだろうが、当時はどこの店舗も休業せず、そのまま中にお客さんを入れていた。


天井と照明が復活したから作業灯はお役御免

照明代わりの作業灯

2011年8月10日 宮城県多賀城市

スーパー「ヨークベニマル多賀城店」で。天井部分や照明の修復が終わるまで、道路工事に使われるぼんぼりのような作業灯を照明に代用して営業していた。


■そしてnamihei、活動開始!

タオル2枚と500円でシャンプーのみ営業

シャンプー営業の張り紙

2011年3月21日 宮城県仙台市宮城野区岩切

岩切の美容室がシャンプー&ブローのみで営業再開。都市ガスは復旧まで1カ月以上かかったが、ここは燃料がプロパンだったので営業可能になったとのこと。このシャンプー情報あたりをきかっけに、本格的にTwitterでの情報発信をしはじめる。こうしたお店情報とかを発信するということは、居住エリアなどの個人情報もわかってしまうということ。震災前だったらUPしようなんて思えなかっただろう。でも、この非常時だ。自分の居場所がバレてもいいからTwitterでみんなに情報共有してもらおうと思った。


災害ボランティアに参加

ボランティア活動に必須の長靴

2011年6月12日 多賀城市

当時、多賀城市のボランティアセンターに通って活動していた。スコップで泥かきをし、海水に浸かった家具を運び出し、物資を集配し、情報収集をし……とにかく多賀城はじめ沿岸部を歩き回るには長靴が必須。ということで、自分の足元を撮っておいた。


被災した高校生の『被災者が被災者に物資届けるよ!プロジェクト』をサポート!

被災地に送るハエ取り線香

2011年7月26日 宮城県石巻市




夏場を迎えた石巻では、片付けていない場所やがれきの山から病原菌を運ぶハエが大量発生し、深刻化していた。そこで、やはり石巻で被災した高校生が被災者にハエ取り線香を届けるプロジェクトをたちあげたという。実際に現地に泥かきのボランティアに行ってみると、自衛隊が消毒剤を撒いてくれたりしていたがハエは一向に減る気配ナシ。ハエとり線香は根本の解決にはならないかもしれないけど、少なくとも焚いている間はハエから逃れられる。プロジェクトの関係者の方々にも会ってみて、全力で協力することに決めた。全国に呼びかけ、多くの皆さんのご支援をいただき、最終的に約1500個が集まり、必要とする人びとに届けることができた(現在、このプロジェクトはいったん終了)。


※この写真は2013年にNPO法人20世紀アーカイブ仙台と共催した写真共同募集プロジェクト「ケータイで撮った『3.11』はありませんか?」でご提供頂いたものです。

※namiheiさんの震災体験の手記やその他の写真は下記をご覧ください。
namiheiさんの震災体験《手記:「セクマイ被災者」と呼ばれて》
写真でたどるnamiheiさんの震災体験《食生活編》

 

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せんだいメディアテークでは、市民、専門家、スタッフが協働し、東日本大震災とその復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していくプラットフォームとして「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれン!)を開設しました。

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