快晴となった2016年8月11日、仙台市宮城野区に位置し、津波により大きな被害を受けた中野地区で、「中野地区地域モニュメント」(仙台市震災復興計画が掲げる「震災の記録を後世に伝える」震災メモリアルプロジェクトの一環)の完成式典が、仙台市立中野小学校跡地にて催されました。式典には、中野地区に住んでいた方々をはじめとして、多くの関係者が参列し、被害を受けた方々を追悼しました。
中野地区地域モニュメントは、震災前の日和山(宮城野区蒲生)の標高6.05mを再現した築山とその周辺に設置された複数の石碑から成っています。それぞれが中野地区の「震災の記録を後世に伝える」内容となっています。
■慰霊の碑
慰霊塔「希望の鐘」(写真右)
高さ3mの白御影石4本で構成されています。全体の形は、干潟の上に昇る朝日を造形しており、4本の柱は中野4地区(和田、西原、港、蒲生)が協力し合いながら、「干潟の風景」を形作っているところを表現しています。 大空に羽ばたく4羽の鳥は、蒲生干潟に集まる水鳥「コアジサシ」です。
慰霊碑「希望の絆 中野」(写真左)
干潟の水面をイメージした黒御影石で造形しています。慰霊碑には、中野4地区で犠牲となられた住民の方々の氏名が地区ごと住所順に字彫りされています。
■「地域の歴史」モニュメント
築山のふもとに地域の歴史を記した4基の石碑が建っています。慰霊塔と同様に白御影石を使用しています。4基の上には羽根を休めて憩う小鳥たちが歌っている姿を表現しており、築山の階段を上って見えて来る慰霊塔では、その4羽の小鳥が巣立って、朝日を背景に羽ばたく水鳥の姿に変わるストーリーをデザインしています。 中野4地区の震災前の生活と歴史を表示しており、写真や碑文については、中野地区の方々の協力がありました。
■学校の歴史の碑
中野小学校閉校記念碑
平成28年3月末に閉校した中野小学校の地域と共に歩んできた歴史と伝統を後世に語り継ぐために教育委員会が制作・設置しました。デザインについては、中野小学校閉校準備委員会の中で協議を進め、白御影石に校鳥である「コアジサシ」を上部に浮き彫りとし、移転前(中野字谷地中)の校舎、移転(中野字西原)して最初の校舎、その後の新校舎の在りし日の写真を掲載するとともに、学校の沿革、校歌、校章等が盛り込まれています。
中野小学校100周年記念碑
昭和48年に、中野小学校の開校100周年を記念し、宮城県より寄贈されたものです。
日和山モザイクアート
「蒲生に環境保全の看板を建てよう」という、中野小の児童の発案から始まりました。特定非営利法人東北の造形作家を支援する会が、閉校記念として中野小児童とともに制作し、公益財団法人石橋財団の助成金を利用して設置し、教育委員会に寄贈したものです。自分たちの故郷であり野外活動などで親しんできた蒲生干潟への想いを残したいと考え「未来に残そう蒲生の自然!」とコメントが添えられています。
環境庁長官賞受賞記念碑
長年に渡り、蒲生干潟を舞台として環境教育を行ってきたことに対し、昭和63年第23回全国鳥獣保護実績発表大会において環境庁長官賞を受賞したことを記念し、中野小学校環境庁長官賞受賞記念碑建立実行委員会が平成2年建立しました。なお、平成13年には、第36回野生生物保護活動実績発表大会において環境大臣賞を受賞しています。
(以上、写真6点の説明文は「中野地区地域モニュメント完成式典」配付資料からの引用です)
式典では、中野小学校の卒業生による中野小太鼓の演奏もありました。
階段の途中には津波の達した高さ5.5mを示す表示がありました。
日和山モザイクアートは、中野小学校の卒業生のタイムカプセルにもなっていました。
モニュメントから眺めることができる七北田川では、護岸工事が進んでいるようです。震災後にできた堤防が白く輝いていました。