語り手:芳賀裕一郎/進行・聞き手:佐藤正実さん(NPO法人20世紀アーカイブ仙台)
■外へ!
[佐藤さん(以下、佐)]芳賀さんは震災の時、お仕事をされていて、その近辺の写真からご提供いただきました。
[芳賀(以下、芳)]当時はサンモール一番町の方で仕事をしていたので、これは震災が起きてほぼすぐ後なんですが、ビルの裏にある駐車場に、みなさんが集まって避難しているという状況です。完全に停電をしているので、やはりビル内にいるのには不安がありました。後ろに消防車が写っているんですが、この写真のちょっと手前くらいのマンションの中で火事があったみたいで、消防車が来てたんですね。
■どこに行けばいいのだろう
[芳]これも震災の当日の青葉通りですね。藤崎のすぐ近くなんですが、車は一切通ってない状態で、やはり多くの皆さんが、避難をするところでした。近くに小学校があるので、最初はそちらに避難をしたんですが、もう押すな押すなで満杯で。校庭もびっちりで入れないような状態で。もう入れないので、次はどこに避難すればいいんだろうとうろうろしている途中でした。結局はもうどこも行かないで、自宅に帰りました。もう信号が全部止まっていたので、この段階でもう警官の方が交通整理をしていたので、車は走っていませんでしたね。
■雪おばちゃん
[佐]あの時、雪が降ってきて、なんかこう気持ちが落ち込んでいくというか、この地震の後にこれかよという、そんな感じがみんなしたと思うんですが。この写真も本当にそれがよく伝わってきますね。
[芳]そうですね。あ、ちょうど面白いエピソードがあります。雪が降る中歩いていたおばちゃんが、ビニール袋持ってないか?それを被って帰るからと聞いてきたんです。買い物をして袋を持ってたので、あの、じゃあ、これあげますって。そうしたら、おばちゃんはそれ被って帰ってましたね。
■情報格差
[芳]この写真は仙台港に丁度行った時のものです。実は、震災があった当日から二、三日全く情報が分からなくて、津波があったことも知らなかったんですね。父の会社が仙台港にあって、父は震災当日は出張に行っていたんですが、なんとか帰ってきて、一緒に会社の様子を見に行こうということで、ついて行ったんですが、もう行ってびっくりですね。こんなになっていたなんて全然知らなかったという。津波が来たという情報を、父が戻ってきたときに、初めて聞いていたのですが、30cm〜40cmくらいのレベルだと思ってたので、こんなにすごいとは思っていなかったですね。
■仙台朝市力
[芳]これは、仙台朝市で買い出しをしたときの様子です。流通関係がかなり止まってたのでどこの店ももう商品がないという状態で、友達や知り合いとか、ツイッターなんかで、どこで商品がある、ここで何が買えるとかいう情報を仕入れながらやっていました。朝市は比較的商品が揃ってるよということで、家族とか親戚の分も含めて買い出しに行った時の写真ですね。
[佐]朝市はね、ほんとずいぶん早くから、オープンしていたし、芳賀さんの写真でもそうですけど、もうひと方が撮られた写真の中でも、14日からどんどんどんどん人が増えてく様子が分かる。朝市でお店をやっている人が、19日が一番ピークだったって言ってたんですよ。歳末売り出しのような、ごった返すような感じだったそうで。その二日前って言うと、それこそ今からもうひとが増えていく頃ですよね。そんな様子が分かる一枚ですね。
■ツイッター家族
2011年3月23日 自宅
|展示「3月12日はじまりのごはん」で利用しました|
[芳]これも大事な写真ですね。東京の知り合いが、支援物資を送ってくれたんですけども、実際まだ、この段階では、やはり宅急便なんかの流通も全部止まっている状態で。この写真の上の段にあるのは実は大人用のおしめなんですね。子ども用のおしめも足りないんですけども、何か足りないものはないかって聞いたときに、おじいちゃんおばあちゃんのための大人用のおしめが全くない状態だと。それで、急きょこれを送ってもらいました。これも三家族分くらい、一緒に混ざって入ってます。
[佐]これらを、芳賀さんが撮ろうと思ったのには、どんな理由があるんですかね?
[芳]そうですね。三家族って話をしたんですけども、つながりがある家族というわけではなくて、ツイッターなんかで知り合いになった人たちだったので、こういう形で物資が届いたよという報告の意味を込めて撮りました。
[佐]なるほど。そうか。ここで写真を撮って、報告するために撮ったんだ。
*この記事は、2012年5月26日にせんだいメディアテークの考えるテーブルで行われた『3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト公開サロン「みつづける、あの日からの風景」』で、芳賀裕一郎さんがお話された内容を元に作成しています。
当日の様子はこちらからご覧いただけます。
《考えるテーブル レポート》→http://table.smt.jp/?p=3689#report
【3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは】
このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定期的に行っていきます。これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。
NPO法人20世紀アーカイブ仙台
公式Web:http://www.20thcas.or.jp/
【考えるテーブルとは】
人が集い語り合いながら震災復興や地域社会、表現活動について考えていく場を「考えるテーブル」と題して、せんだいメディアテーク、7階スタジオに開きます。トークイベントや公開会議、市民団体の活動報告会など多様な催しを行っていきます。
|記録の利用事例|
6枚目の写真は、展示「3月12日はじまりのごはん」で利用しました。
来場者がこの写真を会場で見て、想起したエピソードを下記のリンクからお読みいただけます。
13「全国の知人・親せきから色々とどいた。父の友人からは『俺とお前の思い出』という手紙が入っていて、少し笑った。」