この写真は、携帯のカメラで、ビル10階にあるオフィスの窓からレインボーブリッジ越しにお台場方面を撮影したものです。お台場のどこかで地震を原因とする火災が発生したのか(※)、黒煙が濛濛とあがっています。まさに地震直後の被災状況を撮影したものです。
2011年3月11日、ちょうどオフィス(東京のレインボーブリッジ陸側たもとに近いビル10階)で執務中、大きな揺れが襲い、ビル全体は大きく揺さぶられました。施錠されていないキャビネットの引き出しは全て引き出され、防煙用の非常扉も全て開け放たれました。
おそらくバブル後に建ったため安普請に違いないと思われるビルの床も、そのまま抜け落ちるのではないか、落下して命を落とすのだろうか、と考えながらも、諦めもあったのか、不思議と恐怖感はありませんでした。
今から考えると大げさな話ですが、最初の揺れ、そしてその後何回か繰り返される大きな余震の度に、オフィスの中で、またエレベーターが非常停止で使えないため降りたり登ったりした階段が大きく揺れる中で、そのように考えていました。
その後、揺れは収まったものの、電車や公共交通機関はストップ、交通渋滞、タクシーは拾えないわで、結局横浜の自宅まで4時間かけて、箱根駅伝のコースに沿って、歩道に溢れんばかりの多くの徒歩帰宅者に混じりながら、多摩川、鶴見川を渡り、延々と徒歩で帰宅しました。
当時病気療養中だった私の母は、地震の大きなショックもあり、翌々日に入院、その半年後に他界してしまいました。
この写真は、仙台とは無関係ですが、大震災を後世に伝える一助となればと思います。
※地震発生直後、当時建設中だった海上保安庁海洋情報部新庁舎で火災が発生していた。
2013年8月受入|